皇居参観
2012年7月17日(火)、日帰りの研修旅行に参加。午前中JAL整備工場を見学、午後から皇居参観に行く。
有明ワシントンホテルでのバイキングの昼食は、時間がなくて30分で済ませ、13:15バスは皇居に到着。
桔梗門(ききょうもん)から入門する。この門は、皇居参観者や勤労奉仕者などが出入りする門で、「内桜田門」とも呼ばれている。「窓明館」という建物(休み所)に入り、紹介ビデオを見た後、参観コースを係員の案内で、約1時間15分、2.1Kmを歩く。
元枢密院庁舎、桔梗門脇の石垣を見た後、三重櫓(やぐら)の富士見櫓(写真下)を見上げる。
宮内庁舎前を通り、宮殿の長和殿と宮殿東庭に向かう。
この宮内庁舎(写真下)は昭和10年に建てられ、 庁舎3階は昭和27年改装され、 昭和43年の新宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていた。
宮殿は、昭和39年に起工、昭和43年完工したもので、外国の賓客と晩餐会などを開いたり、親任式(任命式)や歌会始など儀式・行事をしたりする所。正殿、豊明殿、長和殿などの7つの棟から構成されている。宮殿の中で一番長い建物が長和殿で、長さが160mある。新年と天皇誕生日の年2回、両陛下と皇族方が長和殿中央バルコニー(写真下)にお出ましになり、国民の祝賀を受ける。
その長和殿の前の大きな広場が宮殿東庭(写真下)。広さが約4500坪、約2万人が一度に参賀できるという。足元の石畳は、香川県産の安山岩、その下は駐車場になっており、約120台収容できるそうだ。
皇居前広場側から見たとき、石で造られた手前の正門石橋(めがね橋)があるが、その奥の鉄で作られた正門鉄橋(てつばし)が通称「二重橋」である。正門鉄橋を渡りながら、左手に正門石橋(写真下)と右手に伏見櫓(写真下)を見る。江戸城の西の丸大手門だった「正門」は、普段は閉じられており、天皇の特別な行事のある時や、国賓来訪の際以外は使われない。
正門鉄橋を渡った後Uターンして、長和殿の前の宮殿東庭に戻る。
長和殿前には寒椿と山茶花の植え込みがあり、その脇にある11基の灯篭(照明塔)は有田焼。長和殿の左奥は「宮殿の南庭」で、樹木と芝生を配した広い地形を小川が流れているそうだ。東庭から見える二つの大きな刈込は、高さ6m、22種の樹木を合わせて小山のような「南庭の大刈込み」という。刈り込みは、職人が中に入り込んで、すべて手バサミで刈り込みをしているとのこと。
葉と葉の間から光が灯すように作られた照明塔「松葉の塔」を左に入り、大きな玄関前を通る。この玄関は、「宮殿の表玄関南車寄せ」(写真下)と言い、各国の大統領や大使など外国の国賓など主賓の方が利用される。後方には豊明殿の一部が見える。
春秋には桜や紅葉が美しいという「山下通り」を下ると、蓮池濠(写真下)には蓮の花がちらほら咲いていた。
出発地点の窓明館の前へ戻り、参観は14:40終了。昼過ぎのちょうど一番暑い最中、ところどころに日陰があるものの、汗を流しながら参観だった。
皇居前広場で記念撮影、皇居外苑で待つバスに乗り、15:15浅草寺へ向かう。写真下は、皇居前広場から見た正門石橋(めがね橋)。
皇居外苑に楠正成の像(明治30年完成、写真下)があるのは、意外と知られていないようだ。正成は、南朝の後醍醐天皇のために戦い、湊川の戦いで足利尊氏の軍に破れて自害した。後年「忠臣」として尊敬され、その武勇伝は明治政府以後、国威発揚のために利用された。ただし現天皇は、南朝でなく北朝の血筋を受け継いでいる。
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