珍獣?霊獣?象が来た!
長崎歴史文化博物館で、特別企画展『珍獣?霊獣?ゾウが来た!~ふしぎでめずらしい象の展覧会~』が、4月21日(土)~6月10日(日)開催された。
江戸時代、長崎には2度象がやってきているが、日本人が象に対するイメージはどのようなものだったのか、象をテーマにした史料が展示され、講演もあったようだ。こんなチャンスはない、ぜひ観覧に行きたいと思っていたが、ついつい行きそびれてしまい、惜しいことをした。
その展覧会に行った来たT氏から、先日(6/17)長崎歴史文化博物館で買ったという本を借りて見てみた。半分くらい目を通したところで、どうしても自分の物を欲しくなり、どこかで販売してないかネットで探して見たが、見つからない。
この本は、『珍獣?霊獣?ゾウが来た!・・・・展覧会』の「展示図録」という本だ。
博物館に直接電話してみたら、電話を受けた担当者が、親切に教えてくれた。この「展示図録」は、博物館内の「ミュージアムショップ」に置いてあるそうだ。ここの書籍コーナーには以前行ったことがあるが、他では手に入らない貴重な長崎関係の本が、たくさん置いてあった。
現金書留で2,500円(本体2,000円+送料500円)を博物館ショップに送れば、レターパックで送付してくれるとのこと。現金書留料金が500円だったので、結局合計で3,000円かかったが、3日後には配達され、手に入れた(写真下)。
この「展示図録」を読むと、日本人の象に対するイメージについて、よくわかる。
古代より、普賢菩薩を乗せた白象が仏画として描かれていて、象は龍や麒麟、獅子などのような架空の動物であり、「霊獣」であった。
それが、室町時代以降に日本人が実際の象を見る機会があって、「珍獣」となった。この時の象は白象でなく、実際の灰色の象であったが、日本人は白象と灰色の象を、「霊獣」と「珍獣」とに区別て理解したのだろうか。
2012年4月12日付「ものみ・ゆさん」のブログ「長崎から江戸へ旅した象」
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-845e.html
に書いたように、象が日本に最初にやって来たのは、室町時代1408年(応永15年)に若狭の国(福井県小浜市あたり)にインド象を乗せた南蛮船(スマトラ島からと推測される)が到着した。象は、京都の将軍足利義持に献上されたという。
その後、大友宗麟(1575年、天正3年)や豊臣秀吉(1597年、慶長2年)、徳川家康(1602年、慶長7年)へと、各国から象が送られている。灰色の象は、博物館に展示の「南蛮屏風」にも行進する様子が描かれている。
多くの日本人が見物して、象の大フィーバーを巻き起こしたのは、6回目の来日で長崎に到着(1728年、享保13年)した将軍吉宗献上の象で、長崎街道から江戸へと長い旅をした。
江戸時代には、この「享保の献上象」の85年後の1813年(文化10年)、オランダ船に偽装したイギリス船が長崎に牝象1頭を持ち込んだ。長崎奉行所が検分し幕府に報告、幕府は受け取りを拒否、積み戻された。どういう理由で持ち込んだのか、この話も調べると面白そうだ。この時象を見たのは、積み戻されるまで滞留したの3ヶ月の間、長崎の人だけだった。
幕末の1863年(文久3年)、アメリカ船が3歳の牝象を当時開港したばかりの横浜に持ち込んでいる。この象は、見世物で全国を興行して、14歳の1874年(明治7年)に奈良で死んだという。
188年(明治21年)、上野動物園にタイ王国から牡牝2頭の象が寄贈された。明治以降の象は、「霊獣」や「珍獣」ではなく、動物園の「ゾウさん」として、特に子供たちに親しまれるようになったのだ。
昔は、仏画に出てくる「普賢菩薩」に仕える神聖な象や「涅槃」に登場する象、空想上の象、権力者に献上される象、吉宗が考えた軍事用の「戦象」、そして「見世物」の象であった。現代では、動物園の人気者の象であり、空襲に備え餓死させた上野動物園の「かわいそうなぞう」、ネール首相から贈られた友好の象「インディラ」だったり、絵本に出てくるやさしくて力持ちの象、マホービンの象印、製薬会社のキャラクターの象、デズニーの「ダンボ」などなど多くの物語や作品に登場している。
文字のない石器時代、日本列島が大陸と陸続きだった頃、我々の祖先たちは「ナウマンゾウ」を獲物しとしていたこともあったのだが・・・。
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