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2012年5月23日 (水)

長崎から江戸へ旅した象-その2

 将軍吉宗に献上される象が長崎に着き、陸路を歩いて江戸へ旅した。
 石坂 昌三(著)『象の旅―長崎から江戸へ』に続いて、次の書籍を読んだ。

   薄井ゆうじ(著)『享保のロンリー・エレファント』 岩波書店(2008/5/9) 単行本 1,900円(税抜き)

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 象にかかわる様々な人たちの人間模様を、7つの短篇小説にして、この本におさめられている。
   ・「わらしべの唄」・・・象の糞を売って、利を得ようと奔走する中野村の百姓の話。
   ・「獺祭(だっさい)の湊」・・・長崎で象を診る医師とその弟子の話。弟子は、江戸まで象に同行する。
 
   ・「千日手の解法」・・・将軍吉宗と暗愚で将棋好きなその子家重の物語。
   ・「象を引く」・・・本物の象を舞台に上げ、歌舞伎「象引き」を演じる若き日の三代目市川団十郎が登場する。
   ・その他3篇・・・・・・・・
 

 これらは、享保の象を題材にした時代小説で、史実ではない。この中の「千日手の解法」が、一番興味深い。 

 象が江戸城に着くと、吉宗は家重と、居並ぶ諸大名とともに、対面する。象の大きさ、鳴き声や、一挙一動に皆が驚くが、しかし家重は全く関心を示さず、途中で退席してしまう。
 この態度に、吉宗と家重の間は冷え切ってしまう。しかし、浜御殿での象とのかかわりで、吉宗と家重の父子の関係は修復し、やがて家重は9代将軍を立派に勤めあげる。

 確かに家重は、象と最初に対面した時、興味を示さなかったようだ。後の浜御殿の父子関係の話は、フィクションだろう。

 ★ ★ ★

 家重は、生来虚弱の上、脳性麻痺による言語障害があったそうだ。成人になっても失禁するので、侍女たちは下の世話のために、ついて回った。発する言葉は父親の吉宗でさえ理解できない。側近が傍に付いて通訳する。吉宗は、世継ぎである家重を溺愛、文武に励むように仕向けるが、大奥にこもりがちで、酒色にふけったといわれている。

 吉宗がどうして象を見たいと思ったのか、この短編でも触れられているが、石坂昌三の本に詳しい。質実剛健の吉宗は、馬より大きい象が戦(いくさ)に使えないかということを考えた。象を輸入し、浜御殿に象舎を建設した。これは、吉宗が浜御殿を、総合的な実験・研究施設に改造したことと無縁でない。
 

 浜御殿は、現在都立庭園の「浜離宮」である。甲府藩下屋敷時代に原型が築かれ、徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸として「浜御殿」と改称して大幅な改修が行われた。武芸や学問を重んじた第8代将軍吉宗は、浜御殿内に馬術訓練の為の馬場を築き、また大砲場や鍛冶小屋、製糖所、製塩所、薬草園などを設け、実学の実験場として利用したという。

 象を観察した結果、吉宗は象を利用価値なしと判断したようだ。繁殖させようと思った牝象は、長崎で死んでしまっている。享保の倹約令は、大食いの象を飼うこととは矛盾した。吉宗は、象を飼うことに、興味が薄れてしまうのだ。

 異国から連れて来られた孤独な、寂しい享保の象が、やがて栄養失調と冬の寒さで死んでしまう。このことは、この本に触れていないが、題名のロンリー・エレファントは、あわれなこの象の行く末をこの表わしているのだろうか。

 長崎から江戸へ旅した享保の象の全体像が、だいぶ明らかになって来た。

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