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2012年4月の10件の投稿

2012年4月30日 (月)

荒船山

 2012/4/28(土)、西上州の「荒船山」に登る。

 荒船山は、巨大な航空母艦を思わせる異様な山容をしている。展望の良い艫(とも)岩までは急な稜線、そこから山頂までは平坦な森に変化する。
 2009年9月、漫画「クレヨンしんちゃん」の作者・臼田儀人さんが、この艫岩から滑落して亡くなった。日本200名山の名峰である。 

◆ ◆ ◆

 6:15自宅を出発。上信越道の下仁田ICから、国道254号を佐久方面に向かって走る。途中コンビニで、弁当とお茶を購入。
 内山トンネルを過ぎたらすぐ、鋭角に左折し旧道を走ると、内山峠(標高1,070m)の駐車場に8:20着。

 駐車場奥に登山口があり、8:35登山開始。登山道に入れば、すぐアップダウンが続く。梯子、ロープあり、危険箇所にはロープや柵がある。荒船山の三角形の山頂?(写真下)が顔を出す。

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 9:25水が滴る巨大な岩壁の直下(写真下)に着き、休憩。ここが、「鋏(はさみ)岩修験道場跡」。

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 緩やかな下り坂に水場「一杯水」があり、小休止。急登の岩場に、梯子や手摺りを使ってとりつく。平坦部に上がると視界が開け、やがて休憩所(トイレあり)が見えてくる。

 休憩所近くの艫岩展望台に10:25到着。艫(とも)とは、船尾のこと。200mの断崖絶壁から妙義山、浅間山、佐久平、北アルプスなどが展望。

 国道254を眼下に見下ろす。

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 艫岩展望台から、真正面に見える浅間山。

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 浅間山のズームアップ。

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 浅間山の左側。左から蓼科山、北アルプス方面、佐久市街を遠望。

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 浅間山の右手。左から白根山、浅間隠山、谷川連峰、榛名山、妙義山を遠望。

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 展望台を離れ、平坦な木立と笹原の溶岩台地を進む。台地には、沢も流れる。経塚山入口で小休止。最後の急登10分で、主峰の「経塚山」(「行塚山」とも書く)1422.5mに、11:15到達。

 山頂は、船首に当たる。狭く、木立に囲まれて展望は良くない。三角点と石の祠がある。

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木々の間に、雪をかぶった八ヶ岳が見えた。

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 11:25下山開始、往路を戻る。

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 途中「皇朝最古修武之地」の細長い石碑(写真下)が、登山道の右側の笹原の中にあり、小休止。この碑は、昭和初期(9年5月)に地元の人達によって建てられた。文字の意味は、神話の時代の信州諏訪神社の神が、香取神宮と鹿島神宮の神たちと争い、荒船山の溶岩状台地が戦場になりそうだった。国が荒れると心配した天照大神は、孫であるニニギノミコトをこの地へ遣わし、三神に和議を結ばせたという言い伝えによる。

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 展望の良い「艫(とも)岩展望台」に、12:00に戻り、昼食。

 展望台を12:40に出る。「一杯水」上部の岩場は、濡れていて慎重に下る。途中小休止。
 13:20、鋏岩修験道場跡に着き、休憩。

 木々の間から、荒船山の絶壁、艫岩方面を望む。

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 この先のアップダウンの最後の登りは、疲れていて結構きつい。14:05、内山峠駐車場着。

 14:15、駐車場を出発。車窓から荒船山を振り返りながら、国道254号を下仁田へ向かう。。

 国道沿いに「荒船の湯」の看板あり。西下仁田温泉「荒船の湯」で汗を流し、1時間ほど滞在。この温泉は、町営の日帰り入浴施設で安い。町外の大人500円、町民は300円。

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 「荒船の湯」で1時間程過ごし、下仁田ICから上信越・関越道で帰路へ。自宅には、17:15着。

◆ ◆ ◆

 快晴で、初夏のような暑さだったが、山の木々の新緑はまだ早い。下仁田では、満開の桜が見られた。連休初日で高速は混まなかったが、登山客は結構いた。
 標高差は350mしかないが、アップダウンと岩場が厳しい山だった。浅間隠山、黒斑山からに続いて、今回も浅間山を仰ぐことができた。"

【データ】
 歩行タイム=4:05(登り2:15、下り1:50) 標高差=350m 歩数計=17,000歩、10Km

2012年4月26日 (木)

すばる望遠鏡

 『週刊朝日』の最新号(2012年5月4日-11日合併号)を読んでいたら、「すばるが迫る暗黒エネルギーと暗黒物質の正体」という大見出しで、「SFを越える現代宇宙論の世界-前編」というレポートがあった。

 「今夏から観測開始」、「ノーベル賞も夢じゃない」の小見出しが躍る。

★ ★ ★

 国立天文台ハワイ観測所に、「すばる望遠鏡」というのがある。ハワイ島のマウナ・ケア山の山頂(標高4,205m)にある日本の国立天文台の大型光学赤外線望遠鏡である。

 1999年1月に試験観測を、その後共同利用観測を開始している。有効直径8.2mという、当時世界最大の一枚鏡をもつ反射望遠鏡だ。システム設計・建設のほとんどは三菱電機が請け負った。建設総額は、400億円といわれている。
 すばる望遠鏡の解像力の高さは、世界の大型望遠鏡の中でも特に高く評価されているそうだ。富士山よりも高いマウナ・ケア山は、空に近くて、車で登れて、都会の明かりに邪魔されない天体観測の聖地だ。各国13の観測所が林立している。

【国立天文台「すばる望遠鏡」ホームページより】
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 10年以上前のこの望遠鏡に、新型カメラが設置されることになり、この夏からの本格的な観測が始まる。この最先端の技術によって、暗黒エネルギーと暗黒物質の正体に更に迫れるのではと、日本の研究に期待されている。

 暗黒エネルギーと暗黒物質については、今月に読んだ『ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見』(幻冬舎新書、野本 陽代)に出てきたダークエネルギーとダークマターというやつだ。

★ ★ ★

 宇宙の構成要素のなかで、銀河や星をつくる水素やヘリウム・・・など普通の物質は、4%に過ぎないという。大きな重力で普通の物質を引き寄せているダークマター(暗黒物質)は、宇宙の23%を占める。残りの73%は、ダークマター以上に訳の分からないダーク(暗黒)エネルギーが、宇宙を加速膨張させている。

 そんな訳の分からないものが宇宙にあるとは、つい最近『ベテルギウスの・・・・ 』を読むまで知らなかった。このような宇宙論は、この週刊誌のほうが素人には理解しやすい。要は宇宙はあまりにも広すぎて、銀河系の太陽系の地球にいる我々人類が分かっているのは、そのほんのわずかな塵みたいな範囲だ。大部分は、まだ謎だらけということだ。

2012年4月24日 (火)

ペテルギウスの超新星爆発

 昨年末に知人のMさんが話題を提供、それを自分と一緒に聞いた聞いた知人のIさんが紹介してくれた書籍を、やっと今月になって買って読んだ。

  『ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見』 幻冬舎新書 野本 陽代(著)  819円(税込)

 Amazonの内容紹介には、「2012年、人類史上最大の天体ショーが始まる!? 最新ノーベル物理学賞受賞にいたる発見のドラマ!」とある。  

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 Iさんは、「本書の内容もさることながら、慶応法科出身の彼女が超新星爆発に関する本を書くことに感心した。」と言う。
 宇宙のロマンより、浮世の義理人情にも関心がある私は、著者がどんな方なのか興味があって、本書を読む前に少し調べてみた。

★ ★ ★

 著者・野本陽代(はるよ)さんの略歴は、1948年東京都生まれで、慶応法学部卒。「宇宙の膨脹が加速している」ことを発見して、2011年ノーベル物理学賞を受賞した欧米の3人の新進気鋭の学者と昔から親交がある。文科省宇宙開発委員会委員(2004年~11年)の実績を持つサイエンスライターだ。特に宇宙・天文関係の本を多数出している。

 野本陽代さんの夫の野本憲一氏は、1946年生まれ、東京都出身。東大大学院天文学博士課程終了、理学博士。専門は恒星進化論で、現在東大教授(天文学専攻)。後妻は、サイエンスライターの野本陽代である。
 

 野本憲一教授のインタビュー記事が、「東大理学部・大学院理学系研究科」のホームページにあるのを見つけた。ちょっと長いが、読んでみると面白い。
 http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/labo/02.html

 野本教授は高校時代に、「好きだった物理と歴史が、『進化』という観点で結びつく」ということに気付き、東大の天文学教室に進むことにしたそうだ。言われてみれば、天文学とはそういうことかと、気が付く。

 奥さんの野本陽代さんについて野本教授が、「彼女は慶応大法学部出身だったので、NASAに来たときに最初はロースクールに入って国際弁護士になってみようかなどと言っていた・・・」と言っています。
 またインタビュアーが、「(奥様が、)サイエンス関係の本を書くようになったのは、野本先生の研究を宣伝するためだとおっしゃられていて、夫婦二人三脚で素敵だな・・・」とあります。
 

 結婚してNASA研究員になった夫とアメリカに渡り、夫の手伝いをするうちに天文関係の翻訳(彼女は英語が得意らしい)やライターを始められたようだ。結婚後天文学を勉強し、一般の人にも分かり易い本を書いたり、講演したりという、学者の夫をサポートする別の役割を担っておられるすごい才女だということがわかる。

★ ★ ★

 ベテルギウスの超新星爆発に関する話題は、一昨年の2010年1月10日付の朝日新聞に『ベテルギウスに爆発の兆候 大きさ急減、表面でこぼこ』とのタイトルで、「オリオン座の1等星ベテルギウスで、超新星爆発へ向かうと見られる兆候が観測されている。爆発は数万年後かもしれないが、明日でもおかしくない。」と、衝撃的な記事が掲載された。これが日本で、関心を呼ぶきっかけになったという。

本書19頁 オリオン座と冬の大三角形

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 オリオン座の中で明るく輝く赤い星「ベテルギウス」は、最近急激に大きさや質量が減っている。大量のガスを放出し、表面の盛り上がりとみられる二つの大きな白い模様(斑点)が観測され、晩年を迎えている。星の一生の最後には、自らを吹き飛ばす現象「超新星爆発」を起こし、ブラックホールになるとされる。

 「2012年に爆発か!」といった根拠のない情報も広がっているらしい。といっても、2012年には絶対ないとも言い切れない。明日かもしれなし、10万年後かもしれない。星の中をのぞいて確かめるわけにはいかないので、時期の予測は困難だ。
 朝日新聞のきっかけは、NASAのAPOD(今日の天体写真)の2010年1月6日版に、ベテルギウスの画像(パリ天文台提供、写真下)が載ったことらしい。

NASA天文写真 Astronomy Picture of the Day: 2010 January 6
The Spotty Surface of Betelgeuse  Credit: Xavier Haubois (Observatoire de Paris) et al.
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 ベテルギウスの質量は、太陽の20倍、直径は太陽の千倍ある。重いため一生は短く、まだ数百万歳(太陽は46億歳)だが、すでに寿命に近い。過去の超新星爆発は、数々の宇宙の解明に役立ってきた。地球から640光年という近くで起きる爆発は、史上初のことで、宇宙研究の膨大な情報をもたらすだろう。

 もしベテルギウスが超新星爆発したら、冬の大三角形の1つでインパクトがある赤い明るい星が無くなり、オリオン座付近の景色が一変する。超新星爆発の途中は、満月ほどの明るさになり、昼でも見える。我々は、明るさや色の変化など、いまだかつてな天体ショーを楽しむことができるという。

 爆発したら何らかの影響が地球に及ぶのではないか、大量のガンマ線を放出、地球を直撃して生命は絶滅の危機にさらされるのではないかいう心配がある。しかし、その可能性は、色々な理由で否定されており、心配ないそうだ。

★ ★ ★

 本書は6章まであるが、ペテルギウス爆発の話は、第1章のみだ。あとは、星の一生の話や宇宙論の話。

 そして最終章の第6章で、2011年ノーベル賞の「宇宙の加速膨張」の研究内容と、3人の受賞者たちの研究競争の実態が描かれている。

★ ★ ★

 宇宙のビッグバンは、「宇宙は大爆発によって誕生し、その勢いで膨張し続けて現在のようになった。膨張は現在も継続している。」というものだ。そこまでは、何となく自分自身もそう理解していた。

 しかし、膨張は加速しているのか、減速しているのか、それともどちらでもないのか。これまで研究者の間では、減速していると信じられていたそうだ。そうでなければ、宇宙に含まれる物質の量を考えた時、説明が付かないからだ。

 1998年に「宇宙の膨張は加速している!」という、とんでもない発表が飛び出した。遠方の超新星爆発を丹念に観測・解析していた成果だった。この功績で昨年2011年に、パールムッター、シュミット、リースの3氏に、ノーベル物理学賞が与えられた。

 膨張加速の説明は、以下のようだ。

 宇宙には、通常の物質とは違う性質を持つ「ダーク(暗黒)エネルギー」という、まだ誰も実証できてない、よくわからないエネルギーや、観測できない「ダークマター(暗黒物質)」と呼ばれる仮説上の物質が満ち満ちているという。
 このダークエネルギーは、物体に対して斥力の重力(反重力)を及ぼし、宇宙膨張を減速させる通常の物質による引力作用を打ち消してしまうエネルギーだ。
 こういう訳のまだ分からない宇宙のエネルギーのせいで、宇宙は加速膨張しているということらしい。

 このノーベル賞を受賞した発見は、地動説や相対性理論のように、今後の人類の宇宙観を変えるのではと、期待されているのだ。

★ ★ ★

 本書がやさしく解説されているというが、内容を理解できるか、読み切れるか、ちょっと自信はなかった。しかしやはり第1章と6章が面白くて、わくわくしながら宇宙の神秘に引き込まれ、ボンヤリ程度理解して読み終わった。
 宇宙科学が、観測技術や解析技術などの向上で、ここ半世紀で格段に進歩したのはわかる。しかし、「宇宙とは何か」は、ますます分からなくなっている。

2012年4月19日 (木)

雨の新宿御苑

 2012/4/14(土)午前中 前回の「潮風公園」に続き、「新宿御苑」に撮影実習で行く。

 両日とも残念ながら雨。このところ、週末に雨になることが多い。

 「新宿御苑」は、江戸時代に信州・高遠藩主内藤家の屋敷があったところ。徳川家康が江戸に入った翌年の天正19年(1591)、家臣内藤清成は家康への功労・功績を認められ、現在の新宿に広大な屋敷地を拝領した。
 明治になってこの地は農業試験場となるが、後に皇室の庭園として造られたのが明治39年。戦後、国民公園として一般に開放され、厚生省その後環境庁、現環境省へと所管を移した。

 地下鉄副都心線の「新宿三丁目駅」より徒歩5分で到着。入園料は、大人200円。アルコール類や遊具の園内持ち込みを禁止しており、雨の中係員が入口で声をかけていた。

 新宿御苑では、約65種1300本の桜が楽しめる。ソメイヨシノはかなり散っているが、こんな雨の日でも入園者は結構いるものだ。4月中旬は、新宿御苑の代表的な八重桜「イチョウ」が、見ごろだそうだ。しかし、雨で寒いし、時折強い風も吹く。

雨の新宿御苑の桜

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傘をさした団体客が急ぎ足で歩いている

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エンパイアステートビルのようなNTTドコモビルが霞む

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中央休憩所で雨をしのぐ

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 午後から新宿御苑周辺のフォトギャラリーを巡るが、夕方食事会があるので、途中で退散する。

2012年4月12日 (木)

長崎から江戸へ旅した象

 享保年間に、ゾウが長崎街道を歩いて江戸の将軍に献上された。長崎街道の肥前大村に、郡川(こおりかわ)という川があり、当時は橋がなく「飛び石」が置かれていた。象は、その飛び石を大きな太い足で器用に渡った、という話を読んだことがある。

 日光東照宮に、上神庫(かみじんこ)という建物がある。ここに狩野探幽の2頭の象が彫られているが、この象は耳や尻尾などが実際の象と違っている(写真下)。想像で描いたので、「想像の象」と呼ばれる。平安時代に白象に乗る普賢菩薩の仏画が渡来したが、江戸初期の頃迄に実際の象を見た日本人は、まだ一部の人達で、正確な絵や記録がなかったのだろうか。

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 日本に最初にやって来たのは、室町時代1408年、若狭の国(福井県小浜市あたり)にインド象を乗せた南蛮船(スマトラ島からと推測される)が到着した。象は、京都の将軍足利義持に献上されたという。その後、大友宗麟や豊臣秀吉、徳川家康へと、各国から象が送られたそうだ。

 多くの日本人が見物して、象の大フィーバーを巻き起こしたのは、6代目の来日で長崎に到着した将軍吉宗に献上される象で、長崎街道から江戸へと長い旅をした。どういうルートを通ったのだろうか、海峡や川はどうやって渡ったのか、どのような旅だったのか、初めて見る沿道の庶民の反応はどうだったのか、飼育する上でどんな苦労があったのか、興味はつきない。

 しばらくこの話にはまってしまって、いろいろ資料を調べてみた。書籍もいくつか出ているようだが、すでに古本になっている次の本(写真下)を手に入れて読んでみた。

 石坂 昌三(著) 『象の旅―長崎から江戸へ』 新潮社 (発売1992/05) 単行本

~ ~ ~

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 8代将軍吉宗が注文した象は、中国商人によって発注から2年後の享保13年(1728年) 6月、唐船に乗って長崎にやってきた。ベトナム生まれのオス(7歳)とメス(5歳)の2頭の仔象は、長崎に着くとしばらく、唐人屋敷の中で飼育された。

 残念ながらメスの象は、まもなく死んでしまう。生き残ったオスの象は、春を待って、翌年3月13日に長崎を出発した。海路か陸路かという問題があったが、シケで遭難の恐れもあり、当時は長崎から江戸までの幹線はだいぶ整備されていたので、陸路を選ぶことになった。長崎奉行の役人、ベトナム人の象使いの総勢14名に守られ、長崎街道から、山陽道、東海道を通って、江戸城まで歩く。

 街道沿いの藩や宿場には幕府から通達が出て大騒ぎだった。道の清掃、象の飲み水と大量の飼料の準備、拍子木や寺の鐘は鳴らさないこと、牛・馬や犬・猫は近づけないこと、街道には縄を張り見物で騒がないこと、など全国の街道沿いで一斉に行われたという。

 浅い川は、そのまま象が歩いて渡り、橋は補強したりして、ゆっくり渡ったそうだ。自力で渡れない川は、イカダを組んだり、船を並べたりして渡河した。こういった費用は幕府が負担したわけでなく、街道の藩、町や村がほとんど負担したようだ。

 3月24日に小倉城下の宝町に到着、このうわさを聞いて集まった人々でお祭りのように賑わった。翌日は、藩主小笠原忠基が訪れ見物した。関門海峡は、石船(石材を運搬する船)に載せ、遭難しかけながらも なんとか渡った。

 4月20日に大阪に到着し4日滞在、26日には京都へ到着し3日滞在した。御所では、時の中御門(なかみかど)天皇や霊元法皇に前足を膝間づいて謁見。感激した天皇、法皇は、その和歌を残している。天皇と謁見するため、象はあらかじめ「広南従四位白象」という位を授かった。

 揖斐川は水没しながらも歩いて渡り、長良川と木曽川では馬を運ぶ馬船を2隻つなぎ、その上に象小屋を作って運んだ。浜名湖の北側にある姫街道に迂回した時には、あまりの急坂に象が悲鳴をあげたという難所があり、ここを村人は「象鳴き坂」と名付けた。天竜川と大井川は、歩いて越えた。

 長旅の疲れと箱根峠の急坂で、5月17日箱根宿に着くとダウンしてしまう。付き添ってきた役人たちは慌てふためき、江戸城へ早馬で知らせる一方、護摩を焚いて病気平癒を祈り、象の好きな竹の子なども取り寄せ、懸命に手当をした。こんな所で象を死なせたら、役人たちは切腹ものだ。幸い象は3日間で元気になった。

 川崎で六郷川(多摩川)を渡る時は、象のために舟橋を作った。30隻の船を集めてつなぎ、浅瀬に杭を打ってそれに船をつないで固定し、舟橋を完成させ。延べ作業員約800名、工事期間は7日間だったが、このあと舟橋は直ちに解体された。舟橋は、大名の参勤交代の折りにも各地で架けられたが、使用後にはやはり解体されていたそうだ。

 象の旅は350里(約1,400km)、およそ74日掛かって、5月25日に江戸に到着。27日江戸城に参上、将軍、諸大名の前で曲芸を披露した。そして、将軍の別邸である浜御殿(現在の浜離宮)で、飼われることになる。江戸城にも度々参内し、大名や江戸の町民たちが見物し、瓦版にも紹介された。

 民衆のあいだで、「象さまブーム」が巻き起こった。象の絵が描かれた瓦版は瞬く間に売り切れ、双六などのおもちゃ、象のキャラクターグッズ、『象志』や『訓象俗談』といった象に関する雑誌も出版された。歌舞伎の演目の一つに、『象引(ぞうひき)』というのがあるそうだが、これもこの頃に創られたのではないかといわれている。(写真下は、『[享保十四年渡来]象之図』)

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 10年以上浜御殿で飼われていたが、飼育係が象に殺されるという事件があり、中野村の百姓・源助という人物に払い下げられた。源助は、見世物にして木戸銭を取ったり、土産の象饅頭を売ったりした。そのうち大量の飼料調達に耐えられなかったのか、1年以上経って寛保2年(1742年)12月、象は21歳で死んでしまった。死因は、餓死と凍死によるものだった。源助は、頭骨と牙を「宝仙寺」に納めて、供養した。牙の一部が、宝仙寺に今でも残っている。
~ ~ ~

 この本が出版されてもう20年も経つ。活字も小さく、難解な漢字も多く、ところどころに古文書が引用されていたりして、読解に苦しんだ。しかし、この享保の象の話は、我々の夢やロマンをかきたてる。長崎から江戸までの距離を、まだ成獣になっていない仔象を歩かせたことは、世界でも例のないことだったようだ。徳川中興の祖である吉宗は、何にでも興味を示す人でもあったが、二三度象を見たら興味を無くしまった。やがて象ブームが去り、幕府は倹約令の手前、象は厄介者になってしまう。異国から日本に連れてこられた将軍の象は、人間たちの勝手で哀れな最期であった。

 著者の石坂昌三は、日刊スポーツ新聞社で映画担当記者をつとめ、退社後映画評論家として活躍、「巨匠たちの伝説―映画記者現場日記」、「小津安二郎と茅ケ崎館」などの著書もある。あるきっかけで、安南人の象使いに曳かれて歩く象の絵を見て、この「象の旅」に興味を持ったという。著者とって少し畑違いと思われるこのドキュメンタリーは、書き下ろすまでに大変な労力や苦労があったのだろう。資料や古文書のコピーを集め、また実際に象が通った街道の一部を歩いてみたりしている。読むと結構、関連する歴史や地理にも詳しく、学ぶことも多かった。この象の話を司馬遼太郎だったら、どのような歴史的な観点で書いたのだろうか、人間模様をどう描いたのだろうか、もっとこの話が有名になっていただろうか、など想像してみたりする。石坂昌三は、2003年4月、70歳で亡くなっている。

 街道沿い各地には、まだまだ本書に書かれていない、象が通った時の記録や絵、言い伝えがたくさん残っているようだ。街道の菓子屋には由来の象まんじゅうが売られていたり、博物館や資料館には由来の象をかたどった装飾品や絵などあったりする。

 先日「戦火の馬」というスピルバーグ監督映画を見た。これは奇跡の馬と人間との絆の話であるが、この象の話も、もっと小説とか映画、テレビドラマになっても、おかしくない。

 長崎歴史文化博物館で、特別企画展「珍獣?霊獣?ゾウが来た!」が、20012年4月21日(土)~6月10日(日)で開催されるそうだ(写真下)。江戸時代、長崎には2度象がやって来たが、その当時の象をテーマにした史料が展示、講演もある。ぜひ観覧したいものだ。

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2012年4月11日 (水)

夢灯路と上沼・下沼公園の夜桜

 2012/04/08(日)18:00~、東松山夢灯路実行委員会主催による「第8回東松山夢灯路」へ行く。

 男沼(上沼)会場、中央会場(材木町)、女沼(下沼)会場に分かれて、和太鼓やハワイアンなどのライブ、東松山名物のやきとりの模擬店などが、7日(土)~8日(日)で開かれている。

 灯籠の明かりで照らす灯路は、桜の名所の上沼公園と下沼公園の小路を結び、松山神社や東松山駅を経て箭弓神社まで続いている。

下沼公園の夜桜

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上沼公園の夜桜

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 昨年は震災の影響で、中止だったそうだ。初めての見物で、もっと足の踏み場もないほどの混みあっていのではと想像していたが、それほどでもなく賑わっていた。

2012年4月10日 (火)

武州寄居七福神めぐり-後半編

 2012/4/7(土) 寄居七福神めぐりウォークの後半編

 今年1月14日、武州寄居(埼玉県大里郡寄居町)七福神の5ヶ寺のうち3ヶ寺をめぐったが、残りの2寺を4月7日(土)にめぐる。

 東武東上線の男衾(おぶすま)駅を8時55分出発。東京では満開の桜のニュースを聞く頃だが、この辺りはまだ梅が満開といったところ。県道274号線に沿って南下し、35分ほど歩いて、「とんぼの里公園」の先にあり住宅に囲まれた「長昌寺」がある(9:30到着)。境内には大きな藤棚があり、その先に真っ赤に塗られた寿老尊が大きな岩の上に建っていた。長いひげをたくわえ、老人の姿をした長寿を授ける福の神。右手のひらをに人々の災難を払い、右手に巻物も持ち、長寿の代表とされる鹿を連れています。

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 この寺は「萩の寺」として有名で、秋には萩が咲き乱れるそうだ。本堂には、遊行僧の円空が彫ったという「木造役行者像」(寄居町指定文化財)が安置されているという。

 15分休憩後、田園地帯を北上、左折して県道81号線を進み、45分で「常楽寺」に到着(10:30)。門を入ると、白木蓮とエドヒガン桜だろうか、大木に白い花とピンクの花がちょうど満開で競い合うように咲いていた。

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 金、赤や茶色に塗り分けられ、満開の桜の下のコニコ顔の恵比寿尊は、右手で釣竿を持ち左手で大きな鯛を抱えて、赤い台座に座っている。向かって右手には、6体の地蔵を従えている恵比寿尊は、もともと漁業・航海の神だが、商売繁盛・五穀豊穣をもたらす商業・農業の福の神でもある。

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 常楽寺で15分休憩後、荒川沿いに巨大な水車シンボルがある「川の博物館」(かわはく)に向かう。「かわはく」は、「埼玉の母なる川」である荒川を中心に、河川や水と人々のくらしとのかかわりをテーマに、展示や体験学習により理解を深めるという埼玉県立の博物館。駐車場:有り(300円)、観覧料:400円(65歳以上、中学生以下無料)。約35分で到着し、レストハウスで昼食の後、屋内外の施設を13時まで見学。

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 最寄りの東武東上線鉢形駅まで20分ほど歩いて、13時20分解散、帰路へ。

 この日は冬型の天気で風が冷たく、4月にしては寒い日だったが、ウオーキングには良い天気だった。歩程は約9Km、約2時間15分。2回にわたる寄居七福神めぐりは、これで満願となった。

2012年4月 3日 (火)

映画「戦火の馬」

 2012年3月30日の映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」に続いて、夕方から「戦火の馬」を観た。

 1982年に発表されたマイケル・モーパーゴによる小説が2007年に舞台化され、それをロンドンで観た巨匠スピルバーグ監督が、映画化した。スピルバーグ監督は、「ジョーズ」、「E.T.」、「インディ・ジョーンズ」、「ジュラシック・パーク」など数々の作品で有名だが、最新作ということで、この作品に興味を持った。原題は"War Hourse"。ディズニーの配給で、今年3月2日から公開されていた。

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 貧しいイギリスの農家の少年アルバートは、農耕馬として飼われた一頭のサラブレッド馬ジョーイを深い愛情で育てる。犬と同じように、人間と感情を交わすことができるという馬と少年の、美しい絆の物語。

 やがて第一次大戦が始まる。ジョーイは、アルバートと引き裂かれて軍に徴用され、騎兵隊の軍馬としてフランスの前線に送られる。前線の中でドイツ兵、フランスの少女、イギリス兵などいろいろな人間たちとめぐり合いながら、銃弾の飛び交う戦場の中をくぐり抜けて、奇跡の馬として生還する。
 しかし破傷風に罹っていて、安楽死されかけたところで、軍に志願し戦場で負傷したアルバートと偶然再会。心温かい人々の多くの支援を受け、少年は馬と一緒に両親の待つイギリスの故郷に帰る。

 第一次大戦は、騎兵隊のみならず、大砲や兵器、軍需物資や兵士を運ぶ馬車を引くために、100万頭もの馬が徴用され、消耗品のようにほとんどの馬が死んだそうだ。生き残った馬も、終戦後輸送費がかかるため、ほとんどが食肉にされたという。

 この物語は馬が主人公と言っていいほど、馬を中心に描かれている。それにしても馬と思えないほどドラマに合わせた演技が、にくいほど素晴らしい。スピルバーグのことだから、サメや宇宙人や恐竜のようにCGによるものかと思ったが、パンフを見るとすべて調教によるものだというのに驚かされる。

 前線で一時停戦状態の中を、イギリス兵とドイツ兵がそれぞれ対峙した塹壕から出てきて話を交わし、傷ついたジョーイを協力して助ける場面は、半分信じられない光景だが心が安らぐ。

2012年4月 2日 (月)

映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」

 2012年3月30日午前中に映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」を観た後、昼から「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を観た。

 この映画では、ベテラン女優のメリル・ストリープが、元英国首相のマーガレット・サッチャーを演じている。2009年に観た同女優の主演作「マンマ・ミーア!」の女流監督フィリダ・ロイドが、再びメガホンをとっている。原題は"The Iron Lady"。メリル・ストリープは、この映画で3度目のアカデミー賞を受賞した。日本では、3月16日に公開された。

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 「鉄の女」と呼ばれたサッチャー元首相は、現在86歳で存命であるが、2008年に娘キャロル・サッチャーの回顧録で、認知症に苦しんでいることが公表された。ヨーロッパ初の女性リーダーであり、11年にわたるイギリス保守党長期政権の首相を務め、数々の政策で歴史に名を残した。そして現在は、8年前に亡くなったことを忘れて、夫と一緒に幻想の中で暮らしている。

 若い時のサッチャーは別の女優が配役されているが、メリル・ストリープは首相になる前から退任するまでと、現在の年老いた認知症の役を演じている。首相時代の容姿や演説(声質や訛り)を役作りをしているが、また80歳代の顔のシワやたるみ、体型、しゃべり方や動作も、老婆をうまく熱演していて、そのリアルさに驚く。

 マーガレットは小さな食料雑貨商の家で生まれ、オックスフォード大学に進学、政治家を目指す。初挑戦の下院議員選に落選、励ましてくれたのが夫になるデニス・サッチャー。専業主婦にはならないと宣言して男女の双子をもうけ、ついに当選する。
 1975年の保守党党首選挙で、党首に就任。1979年の総選挙では、イギリス経済の建て直しを図り、政府の市場への介入を抑制する「小さな政府」を公約に掲げ、保守党を大勝に導いて、首相に就任した。

 1982年、フォークランド紛争が勃発。男性政治家を尻目に、軍を指揮する強い女は、国民からの高い評価を受ける。この勝利をきっかけに、保守党は次の総選挙を勝ち抜き、サッチャーはより保守的で急進的な経済改革を実行して行く。

  国有企業の民営化や規制緩和、金融システム改革。改革の障害である労働組合の影響力やストライキの抑え込み、所得税・法人税の大幅引き下げの一方、付加価値税(消費税)を引き上げた。教育界の反対を押し切り、教育法を改定(教育の右傾化、競争原理の導入)した。
 終盤には、人頭税を提案して強い反発を受け、欧州統合に消極的な態度を示したために求心力が低下し、1990年英国首相、保守党党首を辞職する。

 さすがに「鉄の女」と言われたように、サッチャー首相は強く、厳しく、激しく、しかも保守主義(コンサーバティブ)であり、男まさりとだったということを、改めて感じる。(しかし、サッチャーの側近だった保守党政治家は、「映画で演じられたような、ヒステリックで感情的な人物ではなかった。」と言っているそうだ。)

 保守党の政治家としては、あの当時の女性で、しかも中流下層階級の出で、英国のトップに立つのは並大抵の努力ではなかったろうと、容易に想像できる。映画を観る前、「鉄の女の涙」という副題はどういう意味か、強い女がある時涙を流したのかと思ったが、「強い女」の過去と現在の「老い」を対比させて描いたことを、そう表現したのではないだろうか。誰でもやってくるこのような「老い」の形は、深く考えさせられた。
 

 映画の中には、爆弾テロや警官隊とデモ隊の衝突などが繰り返し流れる。これは、政策の強行と国民の反発を意味しているのだろうか。サッチャーは、英国経済を立て直したと評価されているが、経済弱者への救済はどうだったのだろうか。
 

 サッチャーが主張するような思想は、新自由主義(ネオリベ)あるいは新保守主義(ネオコン)などと呼ばれている。サッチャーを信奉している言われる安倍晋三、平沼赳夫の考えとも似通っているが、どこかに小泉純一郎元首相、橋下徹大阪市長の政策や政治手法とも共通点があるのではないかと思ってしまう。

2012年4月 1日 (日)

映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」

 2012年3月30日、前から気になっていた映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」、「戦火の馬」を観に、久しぶりに映画館に行く。公開日からだいぶ日が経っていて、もうすぐ上映が終了しそうだったので、あわてて3本を丸1日で観賞した。やはり朝から夜まで観ると、結構疲れるものだ。

 1、2作目に続く「ALWAYS 三丁目の夕日’64」は、昭和22年生まれの西岸良平(さいがんりょうへい)の漫画『三丁目の夕日』を題材に、今年1月21日に公開された。3Dもあるようだが、このときは2Dしか上映してなかった。

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 まだまだ日本は今よりも貧しかったが、古き良き「昭和の中期(30年代)」だ。戦争が終わって、廃墟からの右肩上がりの経済成長、繁栄とか豊かさの夢を見ていた時代であった。

 1958年(昭和33年)に工事中の東京タワーが完成した第1作から6年が経っていて、時は新幹線開業と東京オリンピック開催の1964年(昭和39年)だ。小学生の子役だった古行淳之介(須賀健太)と鈴木一平(小清水一揮)は、高校生だ。すっかり成長しているのに驚く。一平はエレキギターのバンドに夢中、淳之介は東大を目指して猛勉強しながら、ひそかに小説家を夢見ている。

 東大卒の茶川竜之介(吉岡秀隆)は、いまだ売れない物書きで「人生の勝ち組」になれないで、いまだに貧乏暮らし。惨めな自分と同じ目に合わせたくない茶川は、淳之介には東大を出て、安定した大企業に勤めることを強く望んでいる。
 小説原稿やネタ帳を茶川に見つかり燃やされた淳之介が、茶川に反抗する。淳之介は、好きな小説書きの道をやめない茶川の生き方に共感しているのだ。
 「幸せとは何か?」というテーマが、この物語の底辺に流れている。

 週刊朝日に、脚本家の内館牧子がコラムを連載しているが、今年1月27日号に「華やかな経歴」という記事を書いている。ちょうど、この映画のテーマと通じるものがあったので、読み返した。興味ある部分を抜粋する。
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 私には東北で医師をやっている友人が多いが、彼らが口をそろえた。「今度の震災で、我先に逃げた医者が帰って来ないんだよ。逃げたのは、平時から医者には向かないなァと思ってたヤツが多くてさ。高校時代に偏差値が高くて、本当は別のことやりたいのに、もったいないから医学部受けさせられたんだろうな。不幸なヤツらだよ。」
 判でおしたように同じことを言うのには、笑った。
 ・・・・・・ 華やかな経歴(学歴)を持つ者は、何かと陽が当たる。就職や婚活にも有利だろうし、周囲の見る目も違う。華やかな経歴と社会的立場に齟齬(そご)がなく、彼らこそが人生の勝ち組みなのだと、40代くらいまでは信じていた。しかし定年の時期を迎え、華やかな経歴を持つ人が、そうでない人と同じ状態になっていたり、まったく陽の当らないところで、くすぶっていたりする。人生のゴールが大差ない場合もあると考えると、(若い時に)自分の好きな道を選ぶ行き方は、一つの選択肢と思えてならない年代になった。
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  昭和30年代に生き生きとした彼ら、夕日町三丁目の人々は、その後の自分と同じように高度成長やバブルを経験して、現在どう暮らしているのだろうか。三丁目の町並みは、どう変わったのだろうか。フィクションとはいえ、つい自分になぞらえ想像してしまう。

 中学を出て就職列車でやってきた六子(堀北真希)が、もう結婚する。六子を預かる鈴木オートの社長(堤真一)が、親代わりに心配し面倒を見る。しかし結婚式に青森から出てきたはずの実の両親が、映画の中で省略されているのは、違和感がある。妻のトモエ(薬師丸ひろ子)は、一歩下がって夫を立て、優しくて包容力があって、少しお茶目で可愛くて、理想的な母親役で印象良かった。

 毎回ラストで、夕日に映える東京タワーと東京の街の夕焼けのシーンが美しい。戦争で焼け野原となった東京(というか日本)が、見事に復興したことを暗示していると思うが、ちょうど地震・津波・原発の被害を受けた東北の未来が想起される。

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