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2012年1月29日 (日)

池袋周辺の史跡めぐり-その1

 2012年1月22 日(日) 池袋・茗荷谷周辺の史跡めぐり新年ウォーク

 昨年1月の谷中・根津・千駄ヶ谷をめぐる新年ウォークに続き、Yさんの企画「東京散歩」で、今年は池袋・茗荷谷周辺をめぐるコースを歩く。
 JR池袋駅東口を10時15分に出発。天気予報では雨だったが、雨は止んでいる。

●雑司ケ谷鬼子母神
 JR池袋駅東口から明治通りを南下し、雑司ヶ谷の西参道商店街を抜けると、法明寺鬼子母神堂。法華経の守護神で、安産・子育ての神。雑司ヶ谷七福神の大黒天でもある。神社は都心の憩いの場であり、境内には樹齢700年、樹高30mのいちょうの巨木がある。参道のケヤキ並木も有名。

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●雑司ケ谷霊園
 都電荒川線を渡り、著名人が埋葬されている都の霊園に行く。都心にある墓地で、サンシャインビルが見える。夏目漱石(写真)、大川橋蔵、泉鏡花、東条英機、永井荷風の墓を回る。将軍家の鷹匠の拝領屋敷跡の案内板があって、竹久夢二、荻野吟子(写真)、いずみたく、ジョン(中浜)万次郎、東郷青児の墓へと続く。小泉八雲の墓は確認できなかった。日本初の女医であった荻野吟子(現在の熊谷市俵瀬出身)の墓は偶然発見。吟子の生涯を描いた渡辺淳一の小説『花埋み』を基にした、三田佳子主演の演劇「命燃えて」の碑がある。

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●護国寺
 首都高5号線(池袋線)をくぐり、護国寺の墓地へ。ニコライ聖堂などを設計した明治の建築家ジョサイア・コンドルの墓、大隈重信の大きな墓があった。三条実美、山県有朋など明治の元勲、宮家の墓もあるそうだ。護国寺は、五代将軍綱吉が母桂昌院のために造営、真言宗豊山派の大本山でもあり、立派な宗務所の建物がある。

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 途中で弱い雨が降り出すが、やがて昼過ぎには止んだ。
 12時半ごろ護国寺の門前の蕎麦屋「弁慶」に入る。カキ南蛮蕎麦(1,000円)を注文。

●占春園(せんしゅんえん)
 音羽通りから、筑波大付属高・中、お茶の水大、跡見学園女子の前を通り、国道254号線(春日通り)を渡って、大ホトトギスの名所だという占春園へ。水戸徳川家2代光圀の弟である松平頼元の屋敷内の庭園跡で、筑波大学付属小の自然観察の場となっているが一般にも公開されている。園内にはさまざまな樹木がうっそうと生い茂っている。あまりきれいではない落英池という池や、説明板が破損した嘉納治五郎の像(写真)があった。

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●小石川植物園
 植物園の塀に沿って歩く。時間の都合で正門を見るだけで入園せず。 
 五代将軍徳川綱吉の白山御殿跡地で、小石川御薬園、八代将軍吉宗の時代に薬草院や施療院となり、明治10年東京大学附属植物園となった。そばに御殿坂、近くに東洋大白山キャンパスがある。

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● 石川啄木終焉の地
 桜の名所である長い「播磨坂」を上ると、マンションの壁に案内板のみの啄木終焉の地(文京区小石川5丁目11番7号)がある。明治44年、啄木は母と妻の節子と本郷からこの地の借家に移ったが、翌年母が亡くなり、その翌月に肺結核で26歳の短い生涯を終えた。節子と友人の若山牧水が、最期を看取ったという。

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 「池袋周辺の史跡巡り-その2」につづく。

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