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2012年1月30日 (月)

池袋周辺の史跡めぐり-その2

 2012年1月22 日(日) 池袋・茗荷谷周辺の史跡めぐり新年ウォーク

 「池袋周辺の史跡めぐり-その1」の続き

● 深光寺
 茗荷谷に下る藤坂(藤寺、つまり藤で有名な伝明寺のそばにある坂)を経て、深光寺へ。目の前には拓殖大学がある。深光寺は、江戸時代後期の戯作者、「南総里見八犬伝」などの作品を残した滝沢馬琴の墓がある。小石川七福神の恵比寿像もあった。

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● 林泉寺
 茗荷坂を上って、小日向の「しばられ地蔵」で有名な林泉寺へ。願掛けに地蔵を縄で縛り、願いが叶うと縄をほどくのでしばり地蔵とも言われた。

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●切支丹屋敷跡                                                            
 石碑のみ。宗門改役の下総高岡藩主井上政重は、キリスト教を厳しく取り締まった。政重の下屋敷内に牢や番所を建てて、宣教師や信者を収容した。

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●徳川慶喜公屋敷跡
 案内板のみ。徳川斉昭の7男として水戸藩上屋敷に生まれた慶喜は、一橋家を継承し、やがて徳川十五代将軍となった。明治維新以後は、静岡で隠棲していた。明治30年巣鴨に移り、明治34年旧水戸藩邸に近いこの地に移り住み、大正2年77歳で亡くなった。現在国際仏教大学院大学になっている。屋敷の面影を残す大銀杏が、敷地脇の今井坂から見える。

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●「牛天神」北野神社
 源頼朝がこの地にある岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れたので、この岩を祀り牛天神を創立。境内にある牛の形をした岩(ねがい牛)を撫でると願いが叶うという。学問の神様の菅原道真公を祀っている。境内に明治の歌人・中島歌子の碑がある。伝通院に向かう安藤坂の途中には、中島歌子の歌塾「萩之舎」跡があり、門下・門人に上流階級夫人らや樋口一葉がいた。

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●伝通院
 安藤坂を登りきると、最近復興・新築なった伝通院の山門(写真)が見える。浄土宗の寺で、1608年の建立。増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提寺。家康の母、於大の方(法名は伝通院)や千姫(写真 秀忠とお江の長女で、7歳で豊臣秀頼に嫁した)、家光の正室孝子、二男亀松の墓などがある。増上寺、寛永寺と並んで江戸三霊山の一つ。1863年新撰組の原隊である浪士組の結成の地で、山岡鉄舟、近藤勇、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨ら250人が集まったという。勤皇志士で浪士組結成に参加した清河八郎、詩人の佐藤春夫、作家の柴田錬三郎らの墓所もある。七月の朝顔市も有名。

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 伝通院を16時20分ころに出て、春日通り(国道254号)に沿って茗荷谷駅までもどり、地下鉄丸の内線で池袋へ。夕方になって、曇りから晴れ間が見えるようになっていた。
 今回のコースもアップダウンが多かった。コンクリートの上のウォーキングは結構疲れる。休憩を入れて約6時間、歩程は約13Km、約22,000歩であった。

 池袋駅西口すぐの居酒屋「肴や」(さかなや)で、17時から打上げ・新年会を開く。

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