大宰府の史跡巡り
2011年10月28日(金)13:00雲仙・仁田峠を車で出発。14:15諫早ICで高速道路に乗り、大村湾SAで20分ほど休憩、福岡県大宰府市に向かう。目的地のOB会場の「ホテルグランティア大宰府」には、16:20に到着。
その夜は18:30から、24名が参加してOB会が開催された。10名弱の人とは、40年ぶりの再会であった。部屋に戻って2次会の後、24:00ごろ就寝。
翌日10月28日(土)、7:15起床、7:30~朝食。
9:00ホテルを後にし、同窓会幹事の企画で、地元ボランティアガイドと大宰府の史跡を巡る。
●観世音寺(かんぜおんじ)
「観世音寺」は、746年(天平18年)天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って建立。80年もの歳月を費やした。大宰府政庁の東に接して創建されていたので、九州の寺院を束ねる「府大寺」として栄えた。創建時には七堂伽藍(しちどうがらん)を配した西日本最大の大寺院だったが、現在は江戸時代初めに再建された講堂(本堂)と金堂(阿弥陀堂)のみが残る。
●梵鐘(ぼんしょう)
観世音寺境内にある「梵鐘」は、京都・妙心寺のものと同型で日本最古クラス、国宝に指定されている。この梵鐘の音は、「日本音百景」の一つにもなっているらしい。
鐘楼の裏手には「観世音寺宝蔵」があり、平安時代から鎌倉時代にかけての仏像13体(すべて重要文化財)などが、展示されているという。
●戒壇院(かいだんいん)
761年、観世音寺の境内に「戒壇院」が置かれた。東大寺、下野(栃木県)の薬師寺とともに、唐の名僧鑑真和上を招き設置された「三戒壇」の一つとされる。「戒壇」とは、僧侶が守るべき規律のことで、西国で僧になるためには、必ずここで受戒しなければならなかった。
戒壇院は観世音寺の一部だったが、平安時代以降は徐々に衰退、江戸時代に観世音寺から独立し、禅寺となっている。
●大宰府政庁跡
大宰府政庁跡(都府楼跡)は、かつては「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ、九州を治める役所があった。奈良時代から平安時代にかけて、壮麗な建築が建ち並んでいたが、940年(天慶3年)に藤原純友の乱で焼失。
今は広い野原に、大きな礎石(レプリカ)が並んでいて、往時をしのばれる。そばには、「大宰府展示館」がある。発掘調査により出土した平安時代の遺構や出土品が公開されている。途中で雨が降り出し、展示館の軒下で雨宿り。ボランティアガイドはここまで。
●国立九州博物館
太宰府天満宮の裏で、同宮所有の丘陵地に建設され、2005年10月に開館。100年以上の歴史を誇る東京・京都・奈良の3つの国立博物館が美術系博物館であるのに対して、ここは歴史系博物館であるという。「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」を基本理念に、旧石器時代から近世末期(開国)までの日本の文化の形成について展示されているという。
大変興味がある所だが、時間の関係で、入館せず外観を見ただけ。前日、雲仙に行かなければ、見学出来たのだが。
●大宰府天満宮
学問の神様として菅原道真公を祀っており、受験合格や学業成就などを祈願する参拝客や観光客など、この日もにぎわっていた。七五三の親子連れの姿も目立つ。
境内には約6,000本もの梅の木があり、2月上旬~3月中旬になると、境内を紅白に彩るという。梅にちなんだ「梅ヶ枝餅」は有名で、おみやげに買い求めた。参道には、数多くの土産屋がにぎやかに並ぶ。このほか「合格ちくわ」、「うその餅」、「鬼瓦もなか」など、由来ある縁起物もあるそうだ。
天満宮の中の食事処で昼食をとり、境内・参道を散策する。
13:30博物館駐車場に集合、14:00に解散。14:50筑紫野ICで高速に乗り、16:30実家に到着した。
大宰府に来たのは、中学校の修学旅行以来だろうか、ほとんど記憶がない。今回は、宝物殿、展示館や国立博物館などもゆっくり見たかったが、OB会のオプションだったので時間が無く、駆け足の史跡巡りだった。
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