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2011年11月の11件の投稿

2011年11月30日 (水)

テレビ「蝶々さん」

 2011年11月19日と26日のNHKドラマ土曜スペシャルで、2回にわたり「蝶々さん~最後の武士の娘~」が放送されました。

 

 24日(木)の深夜(25日)に偶然、前編の再放送を見ました。5月に行ったオランダ坂やキリスト教系の活水女学校(現在、活水女子大)のロケが出てきました。

 後編が26日(土)だったのですが、都合で見逃してしまいました。再放送を待っていますが、NHKの番組表を調べて見ても、いつあるのか分かりません。

 

 蝶々さんは、長崎を舞台に「ある晴れた日に・・・」の歌詞で知られているプッチーニ作のオペラ「蝶々夫人」のことです。蝶々さん役で国際的に活躍したオペラ歌手の三浦環(たまき)が有名です。三浦環が蝶々さんに扮した銅像を、長崎のグラバー園で見た時、少し不思議な気がしました。

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 蝶々さんのモデルは、長崎に居たグラバーの妻ツルが最も有力だということが、定説になっています。国際的な名声をつかんだ三浦環は、1922年に日本に帰国するとしばらく長崎に滞在し、「蝶々夫人」ゆかりの土地を訪ね歩き、演奏会を開いたりしたそうです。また、グラバー邸が、「蝶々夫人」の舞台になる長崎の港を見下ろす丘に立つ家にマッチしています。

 

 そういうわけで、長崎にゆかりが強い「蝶々夫人」と三浦環の功績をたたえ、グラバー園に銅像が建っているようです。三浦環の像の近くには、プッチーニの像もあるらしいのですが、記憶がはっきりしません。

 

 中学の時に、音楽で歌劇や歌曲の題材として、「蝶々夫人」を習いました。当時、「ある晴れた日に・・・」の曲が教科書に取り上げられたことで、現地妻がアメリカ人の夫を待ち焦がれている歌詞が、中学生に理解できるかと、批判があったことを憶えています。

 

 NHKドラマの原作・脚本の市川森一は、脚本家、小説家で、ワイドショー番組にもよく顔が出てきます。カトリック教徒で、長崎県諫早市出身、父は旧海軍大村航空隊の教官だったそうです。大河ドラマやその他TVの脚本を多く書いていますが、長崎ゆかりの小説や脚本も多く、日本放送作家協会理事長のほか長崎歴史文化博物館名誉館長もやっていて、長崎では有名人です。

 

 「蝶々夫人」が日本人の手で小説になると、蝶々さんの生い立ちが、ああゆうふうになるのかと、そういう目でテレビ「蝶々さん」を見ていました。

映画「マネーボール」

 2011年11月27日、映画「マネーボール」を観る。

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  長年、読売グループに君臨するトップの「鶴の一声」に、ジャイアンツの清武代表兼、GM(ゼネラルマネージャー)が、反旗をひるがえし、解任されるというという問題が、世間を騒がせている。

 そんな中で、今年ベネット・ミラー監督、ブラッド・ピット主演で映画化された「マネーボール」は、メジャーリーグのオークランド・アスレチックスの実在のGMの物語だ。マイケル・ルイスによるノンフィクションの原作は、2003年に米国で発売、ベストセラーになったそうだ。

 メジャーリーガーを引退後、弱小・貧乏球団オークランド・アスレチックスのGMとなった実在の人物ビリー・ビーン(ブラッド・ピット)は、育ててきた有望選手を強豪球団に引き抜かれるという事態が続く。

 
 チームの立て直しを図るビリーは、野球経験はないが、データ分析が得意なイェール大卒ピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)と出会う。統計データを使って、選手の将来的価値を予測するという「マネーボール理論」を導入、ピーターと共にチームの改革を進めていく。

  保守的な古株スカウトマンだけでなく、選手やアート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)らの反発を生み、チーム状況は悪化する。しかし強引に独自の改革を進めていくうち、徐々にチームに勝利をもたらす。球界はビリーの手腕を認め、周囲からの信頼も回復。そして誰も想像しなかった、奇跡の記録を打ち立てる。

 

  人身売買のような球団GMどうしの契約金の交渉、簡単に移籍、トレードやクビを選手に伝える場面など、アメリカ社会やメジャーの厳しい現実を垣間見た。メジャーファンには、実際の選手やデータが映画の中に出てきて、興味深く楽しめたと思うが、自分には少し誇張されたであろう映画が、どこまでが現実なのかが、まだよく分からない部分がある。

 統計データを使って野球を客観的に分析していくやり方は、「セイバーメトリクス」といい、1970年代に生み出され、次第に野球愛好家の中に浸透していったという。この理論を本格的に実践に使ったのが、アスレチックスのビリー・ビーンGMで、「マネーボール理論」と呼ばれた。

 アスレチックスは、毎年のようにプレーオフに進出する強豪チームとなる。しかし今では他球団でも、そのやり方が採用されるようになり、貧乏球団は再び低迷を続けているというのは、残念だ。

 日本のアニメや映画になった「もしドラ」=「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」は、公立高校の弱小野球部でマネージャーを務める女子高生が、ドラッカーの経営論『マネジメント』を手に部の改革を進め、甲子園を目指すと言うストーリー(発表時期は、「もしドラ」が後)だが、それと重なるところもあって、結構感動することも多かった。

 
 ビーンと12歳になる娘との会話や、彼女がギターを引きながらの歌には、癒された。

2011年11月18日 (金)

日光田母沢御用邸

 2011年11月15日(火)、日光・鬼怒川温泉グループ旅行の2日目。

 宿泊先の鬼怒川温泉ホテルで、朝6:30起床。7:30~朝食(バイキング)の後、朝風呂。
 ホテル売店で黒胡麻温泉まんじゅう(900円)を購入して、9:40ごろホテルを出発。

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 今市へと向かう。国道121号線沿いにある「日光おかき工房」と「上澤梅太郎商店」に、立ち寄って買い物。
 

●名水の郷「日光おかき工房」

 奥日光の岩清水を源流とする大谷川の名水と、厳選した100%国内米を使用して作られ、おかきと煎餅の種類は、50種類以上だという。おかきと煎餅は、もち米とうるち米の違いで、そう呼ばれる。次々に観光バスが止まると、観光客が続々と店舗に詰めかけ、試食し、お菓子を買い求めて、大きな袋を抱えていく。店舗2階からは、おかきづくりの最終工程の一部を見学できるらしい。

●日光みそのたまり漬「上澤梅太郎商店」

 漬物、味噌、醤油などの素材を厳選、ほとんどの野菜を生産農家と直接契約によって取扱い、また野生の素材は、永年提携している仲買より仕入れているという。 らっきょ、大根・胡瓜・茄子の詰合せの2袋1,300円を購入。

 宇都宮駅前に行って、昼食に餃子を食べる予定を変更し、ここから別行動する5人と別れる。

●日光田母沢御用邸記念公園

 日光に戻り、11:20日光田母沢御用邸記念公園へ。入園料500円。豪華でみやびな建物内部と、紅葉の風情のある庭園を12:40まで見学。

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 田母沢御用邸は、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時皇太子)の静養地として造営。その後増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となった。
 

 昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子が利用された。戦後は博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園となって公開された。

 これらの建物や庭園からは、江戸時代後期、明治、大正と三時代の建築様式や当時の建築技術、皇室文化にふれることができる。平成15年(2003)に国の重要文化財に指定。現在、(財)栃木県民公園福祉協会が管理している。

 近くの食事処で、12:45昼食。マイタケうどん630円。13:15に出発、国道122号線、足尾を経て、途中草木湖ドライブインで休憩。大間々を経由して、駅前に16:10着、解散。自宅に16:45帰着。

日光東照宮

 2011年11月14日(月)~15日(火)、日光・鬼怒川温泉へ一泊二日のグループ旅行。

 自宅を9:05出る。11人の一行は車2台に分乗し、9:30駅前を出発。東北道を経由し、佐野SAで休憩、日光宇都宮道路から日光へ。12:00に日光市営有料駐車場(第1)に車を置く(駐車料金500円)。

 
 

●日光東照宮

 近くのお食事処「日の丸」で昼食(ざるそば1,050円)後、13:00~15:00まで有料ガイド(2時間5,500円)付きで、「日光東照宮」を見学する。拝観料1,300円。

▽石鳥居(一ノ鳥居)

 表参道から階段を上ると、江戸時代最大規模という高さ9mの「石鳥居」がある。黒田藩主・黒田長政が奉納。石は、九州から切り出された。

▽五重塔

 石鳥居をくぐるとすぐ左手に、小浜藩主・酒井忠勝が奉納した「五重塔」が建つ。1層軒下には、方角を示す十二支が彫刻。内部は吹き抜けで、天井からは心柱が吊り下げられ、東京スカイツリーと同じ制振構造だという。

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▽想像の象

 「表門」を抜けて右手に、「上神庫」(かみじんこ)がある。狩野探幽の2頭の象が彫られているが、象を見たこともなく想像で描いたので、「想像の象」と呼ばれる。

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▽三猿(さんざる)

 上神庫の反対側に、「見ざる・言わざる・聞かざる」の「三猿」の彫刻のある「神厩舎」(しんきゅうしゃ、馬小屋)の建物がある。
 全部で8枚の絵になっていて、左から2番目の彫刻が三猿。1番目の母子猿から8番目の妊娠した猿まで、ちゃんとした物語りになっていて、また1番目に戻り人生が繰り返されるという。

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▽御水舎(おみずや)

 参拝者が手と口を清める場所。手水鉢(水盤)は、鍋島藩主が家康3回忌に奉納した。軒下には、2頭の飛龍。

▽銅鳥居(どうとりい)

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 青銅で作られた高さ6mの唐(から)銅鳥居で、三代将軍家光が金2,000両を費やして建てた。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮(はす)の花弁。陽明門とこの鳥居の中心に結んだ上空に、北辰(北極星)が来るように造られ、その線を真南に行けば江戸。

▽輪蔵(りんぞう、経蔵)

 建物の内部には、八角形の回転式の書架があり、書物が納められていた。

▽南蛮鉄燈籠、回転燈籠

 伊達政宗が、ポルトガルから鉄材を輸入し作らせたのが「南蛮鉄燈籠」。オランダから贈られたのが、三葉葵の紋が逆さまについている八角形の「回転燈籠」。

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▽陽明門

 左右に「鼓楼」と「鐘楼」があり、正面に東照宮の象徴的な「陽明門」が建ち、後水尾天皇の筆による「東照大権現」(家康の神号)の額が掲げられている。
 軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、唐獅子、竜などの霊獣や子どもの遊び、聖人賢人など、数百体の彫刻で埋め尽くされている。1日中見てても飽きない事から、「日暮門」の別称がある。
 陽明門の12本の柱の1本は、「魔除けの逆柱」と呼ばれる。模様が逆で「完成した瞬間から崩壊が始まる」という古事から、わざと未完成の部分を残しているという。

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 陽明門を中心に本社、祈祷殿、神楽殿、神輿社などを「回廊」が取り囲んでいる。目立たない場所だが、総漆塗りで様々な精巧な彫刻に、極彩色で彩られている。

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▽神輿舎(しんよしゃ)

 陽明門をくぐって左にある「神輿舎」(しんよしゃ)には、家康、秀吉、頼朝を祀った3基の神輿(みこし、しんよ)が安置されている。

▽眠り猫

 「坂下門」の奥が、家康が眠る「奥宮」に続く。坂下門は普段は閉められ、将軍参詣の時しか開く事がなかったので「開かずの門」とも呼ばれた。奥宮へ続く欄間には、有名な「眠り猫」と「雀」の彫刻が彫り込まれている。

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▽奥宮

 200段の石段を息を切らして上ると、「奥宮拝殿」があり、銅製の唐門である「鋳抜門」(いぬきもん)、「奥宮」と続く。奥宮は、家康の墳墓の上に建てられた宝塔。当初の木造から石造に変わり、後に銅製になった。宝塔は、石造りの玉垣の内部に、八角九段の基盤の上にあり、高さ5m。

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▽御本社(ごほんしゃ)

 坂下門に戻った後、靴を脱いで東照宮の中心となる建物の「御本社」に入る。内部は撮影禁止。
 本社は、本殿、石の間、拝殿が一体化した権現造りで、東照宮の中心を成している。拝殿の天井は、それぞれ異なった竜が狩野一派によって描かれている。巫女さんの案内で、柏手を打って参拝。本社の表門である「唐門」(からもん)は、竜や獅子を模った銅製彫刻、唐破風や欄間、柱には、精巧な彫刻が施されているが、現在修復工事中。
 写真は、奥宮への石段から坂下門と本社の屋根を撮影。

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▽祈祷殿(上社務所)

 護摩を焚いて天下太平を祈願した。軒下には水鳥や鯉の彫り物がある。 現在は、結婚式などに使われているという。

▽本地堂(ほんじどう、鳴き龍)

 本地堂は、薬師堂とも呼ばれ、狩野派が描いた龍の天井画がある。昭和36年に火災により焼失、その後再建した。靴を脱いで上がり、案内人が説明の後、拍子木を叩くと反響した鳴き龍を聞くことができた。

 15:15東照宮の見学を終わり、表参道を通って市営駐車場に向かう。
 日光東照宮は、多数の建造物や工芸品が国宝、重要文化財に指定されている荘厳な史跡・文化財であり、世界遺産でもある。その一方で、観光施設としての行きすぎた商業主義には、以前から違和感を覚える。
 有料のガイドは、さすがプロだけあって説明がうまい。改めて東照宮について学ぶことが多かったが、この旅行を計画した幹事のFさんに感謝。

●日光山輪王寺

 輪王寺は、平成32年度までの予定で「本堂(三仏堂)平成大修理」が進行中。輪王寺の「大猷院」(たいゆういん)は、徳川三代将軍家光公の廟所で、一見する価値があるという。次回来る機会があれば、見学してみたい。

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 なお、日光の「東照宮」、「二荒山神社」、「輪王寺」の建造物は「日光の社寺」として平成11年(1999年)に世界遺産に登録された。

●鬼怒川温泉

 15:30市営駐車場を出発、16:10宿泊先の「鬼怒川温泉ホテル」に到着。温泉に入った後、18:00~20:00夕食(バイキング)と20:30~23:30カラオケ(貸切り)で盛り上がり、24:00少し前に就寝。1泊2食12,250円(入湯税込み)。

 翌日の11月15日(火)は、田母沢御用邸を見学する。続きは、次の記事「日光田母沢御用邸」をご覧ください。

 

2011年11月13日 (日)

横浜港の風景

 2011年11月12日(土)、一眼レフカメラを持って、横浜港周辺に撮影に行く。

 自宅を8:20に出て、最寄り駅に集合。同行12人とマイクロバス(貸切)の乗り込み、9:00出発。関越・首都高を経由して、途中三芳SAと大黒ふ頭SAで休憩、12:00少し前に横浜の「マリンタワー前」に到着した。山下公園通りの、色づいたイチョウ並木がきれい。

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 ここで下車して「山下公園」に立ち寄った後、「中華街」へ歩く。今年1月に来た時もそうだったが、通りは甘栗売りの客引きがうるさい。「大三元酒家」に入り昼食後、散策しながら「媽祖廟」や「関帝廟」などを撮影する。

 媽祖(まそ)は、北宋時代に福建省の官吏林氏の娘として生まれた実在の人物。奇跡を起こして崇められ、神となった。航海・漁業の守護神として、自然災害や疫病、戦争、盗賊から人々を護る女神として、中国沿海部を中心に信仰を集める。今年5月に行った長崎・唐人屋敷跡の天后堂に祀られている天后聖母は、媽祖のことだ。

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 関羽(かんう)は、中国後漢末期の武将で、三国時代の蜀の創始者である劉備に仕えた。悲劇的な死を遂げたが、後世神格化され関帝(かんてい)となり、信義に厚い事などから、商売の神として世界中の中華街で祀られているという。

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 横浜の関帝廟は1990年、媽祖廟は2006年に、華僑がお金を出し合って建てたそうである。特に媽祖廟は、細かい手の込んだ見事な彫刻等や装飾など、相当お金がかかっているように思える。いずれの廟も、太くて長い線香を500円で売っている。この線香を買えば本殿の中に入ることができ、お清めに線香を焚き、願い事を神様に伝えられるという。お参りの作法があり、案内の中国人が指導していた。

 中華街から、山下公園へ再び移動する。公園では、「アフリカン・フェスタ2011」が開催されていて、賑わっている。アフリカ各国大使館、国際機関、NGO、民間等の参加を得て、外務省が横浜市と共催で、毎年開催しているアフリカ関連のイベント。ワークショップ、音楽公演や展示のほか、アフリカ料理が楽しめるフードコーナーなどの催しが行われていた。

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 係留されている氷川丸の前にはバラ園があり、赤、白、ピンク、黄色のバラが氷川丸に花を添えていた。

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 氷川丸は、1930年に竣工、日本郵船の12,000トン級の貨客船。シアトルなど北太平洋航路で長らく運航された。 

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 いつも外から眺めていたが、初めて船内を見学してみる。映画のタイタニック号や、ロスアンゼルスのロングビーチに係留されているクイーンメリー号を思い出す。これらの船の大きさとは比較にならないが、戦前の一等客室や社交室のぜいたくさに驚き、機関室や操舵室の古いメカに感激する。入館料200円。シニア(65歳以上)、中・高生は、100円。

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 16:00、一旦マリンタワー前に集合して、マイクロバスで「大さん橋」に移動する。「大さん橋」は、「横浜港大さん橋ふ頭」または、「大さん橋国際客船ターミナル」の通称で、国内・外国航路客船の主要な発着場所である。カメラの三脚を立てて、ここから見渡す港周辺の夕景・夜景を撮影する。

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 「大さん橋」から眺めるランドマークタワーなど、みなとみらいの夜景。

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 その後、「赤レンガ倉庫」へ徒歩で移動。保税倉庫として明治の終わりから大正時代の初めにかけて建設されたが、その役割は1989年までに終え、しばらく放置されていたという。1992年横浜みなとみらい21の整備に伴って、横浜市が国から取得。5年以上かけて倉庫を修復し、周辺地域と一体的に整備を始めた。2002年には1号館は文化施設に、2号館は商業施設となり、みなとみらい21地区の代表的な観光施設となっている。

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 18:00、赤レンガ倉庫の駐車場でバスに乗り込み、帰路へ。途中三芳SAで休憩、予定通り20:30に出発地に到着。20:55自宅に帰着。

 この日は、秋晴れの土曜日で、10月並みの暖かさだ。中華街や山下公園、赤レンガ倉庫にしても、すごい混みあい様だった。一日中歩き回ったので、けっこう疲れた。

2011年11月11日 (金)

長崎・稲佐山からのパノラマ

 2011年11月4日(金)~5日(土)、長崎に1泊2日の家族旅行に行く。

 11:00ごろ家を出て、車で長崎市内の稲佐山温泉ホテルに向かう。

●野鳥の森レストラン

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 11:20、国道34号線の「野鳥の森レストラン」に寄り、早めの昼食。ここは、大村市と諫早市の境界の鈴田峠に在る。鈴田峠農園が経営している農産物の直売所と併設のバイキングレストラン。和・洋・中の料理が多数用意されているが、基本的には大村近郊の食材を使った田舎料理で地元の人には評判。大人1,260円(中学生以上)、シニア1,050円(70歳以上)、小学生420円で、価格は手ごろで美味しい。

 鈴田峠農園の直売所がすぐそばにある。

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 直売所では、親戚の生産者の名を書いた「ひょうたん型のかぼちゃ」を見つけた。

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  ●稲佐山からのパノラマ

 諌早ICから長崎自動車道、出島道路を経て長崎市街に入る。稲佐橋を渡って稲佐山へ向かう。

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 新聞・テレビに出てたが、11月1日から稲佐山の「長崎ロープウェイ」は、斬新なフォルムの新ゴンドラがデビューしたそうだ。

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 標高333メートルの稲佐山山頂からは、360度のパノラマで長崎市内全景を望むことができ、日本三大夜景の一つである「1,000万ドルの夜景」のビュースポットとしても有名。ロープウェイは、ふもとの淵神社駅から稲佐山まで約5分、20分間隔で運行、往復大人1,200円。

 さっそく乗ってみることにするが、車でふもとのロープウェイ駅が分からず、いつのまにか山頂に着いてしまった。仕方なくそこに車を置き、稲佐山駅からロープウェイで下り、往復することにする。ゴンドラは、黒で統一されガラス張りで、しゃれた感じ。13:30出発、ロープウェイからのパノラマを楽しむ。

 左手は大波止。正面は水辺の森公園や美術館、赤い屋根の活水女子大。右端に大浦天主堂やグラバー園。山の向こう側は霞んで見えないが、天草方面らしい。

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 市役所のある中心街、諏訪神社や長崎街道方面。遠く雲仙が遠望できる。

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 長崎駅(中央)に電車が並んでいる。右手に浦上川に架かる旭橋。

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 佐賀県境の多良山系が遠望。左下に浦上天主堂と原爆資料館、その右が長崎大学。

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 中央にヤマダ電機の黄色の建物と県営球場が目立つ。右端に平和公園を確認。

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 浦上の市街地の遠くに、大村湾が霞んで見える。

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●グラバー園

 稲佐山から市街地に車で戻り、14:40グラバー園に到着。

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 四季を通じ様々な花が咲き誇り、緑に包まれたグラバー園は、眼下に広がる長崎港を見下ろす南山手の丘に立地。旧グラバー住宅、旧三菱ドッグハウス、旧ウォーカー住宅、旧オルト住宅など洋館9棟が点在。入園料600円。60歳以上は、保険証を見せれば減免料金で300円。

●大浦天主堂

 15:50グラバー園に隣接する大浦天主堂に行く。

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 正式名は、日本二十六聖殉教者天主堂。中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調教会で、現存する木造教会では日本最古で国宝。拝観料300円。5月に行った「浦上天主堂」によりも、内部は狭くて薄暗く、古い歴史を感じる。内部は撮影禁止。

 幕末の1865年に建立された。250年間密かに信仰を続けてきた潜伏キリシタンがここで発見され、奇跡の事件として世界的に知られたところである。信徒発見百周年の1965年に建てられた記念碑は、外の庭にあった。

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●稲佐山温泉ホテルアマンディ

 大浦天主堂から築町電停まで歩き、市電で長崎駅へ。そこから無料送迎バスに乗って、ホテルに17:15着。

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 客室、レストランや露天風呂から、長崎の夜景が一望できる稲佐山にある温泉リゾートホテル。長崎の地元素材の料理が楽しめ、岩盤浴やエステなどの癒しやアミューズメント施設(これらは有料)もある。18:30~夕食、温泉に入り、露天風呂からも長崎の夜景を楽しむ。海側のツインで1泊2食付き、一人15,000円だった。写真は、部屋の窓から撮影。

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 翌日11月5日(土)は、朝から雨。大波止ターミナルを見ると、五島航路の九州商船フェリー「万葉」(中央)とジェットフォイル「ぺがさす」(右)が停泊していた。5月の五島・福江島巡りで乗った船だ。

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 朝食はゆっくり9:00~とし、10:00少し前にチェックアウト。

●夢彩都(ゆめさいと)と観光丸

 ホテルをチェックアウトして、大波止にあるショッピングセンター「夢彩都」に行く。施設は、株式会社長崎ベイサイドモールが所有、店舗の管理運営を株式会社イズミ(本社は広島県、西日本地域でショッピングセンターを展開)が行っている。2000年(平成12年)4月に開業したそうだ。 

 夢彩都から、観光丸が目の前に停泊しているのが見えた。(後ろは、水辺の森公園)

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 観光丸は、1855年にオランダ国王から江戸幕府に贈られ、日本初の蒸気船で幕府海軍の練習船として活用された。1876年に解体されたが、この船は1987年に復元されものだ。

 これまでは、ハウステンボスに停泊し大村湾のクルージングなどを行っており、昨年の大河ドラマ「龍馬伝」においても、ロケに使用されたと聞く。今年5月に長崎に来た時は、この「観光丸」が停泊していた。後で調べてみると、軍艦島クルーズで有名な「やまさ海運」と「ハウステンボス」が、観光丸の3年間の借り受け契約を交わし、長崎港内遊覧船として使われているようだ。

 夢彩都では、家族が買い物の後、4Fの信州そば処「そじ坊」で早めの昼食をとり、帰路へ。

 ●黒潮市場

 国道34号線の諌早市内の貝津交差点を大村に向かって左折し、少し行ったところに「黒潮市場」という野菜と海産物の豊富な店がある。とにかく魚が生き生き新鮮で、安いとの評判で、帰りに立ち寄った。西諫早ニュータウンが近くにあり、こじんまりとでしているが、結構客で混んでいる。鯛やアジが安いと、家族が買って、13:30に帰宅。

 鯛を焼き物して、あったかいうちに食べたら、ホクホクしてすごくおいしい。鯛はめったに食べないし、こんな新鮮で美味しい鯛は初めて。さすが高級魚だけの価値があった。

2011年11月 9日 (水)

大村湾と多良山系

  帰省中の2011年11月1日(火)、秋晴れのいい天気だ。大村市富ノ原付近の海岸に行き、西の大村湾を眺め、東の多良山系を仰ぐ。

●針尾無線塔と西海橋を遠望する

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 右手遠く、かすかに見える3本の塔は、巨大なコンクリート製の「針尾無線塔」である。1922年(大正11年)に完成した海軍佐世保鎮守府の無線送信所であった。戦後、佐世保海上保安部が所管、海上自衛隊と共同で使用していたが、1997年(平成9年)に後継無線施設が完成したことにより、現在ではその役割を終えているという。250mmの望遠レンズで撮影。

 太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」(ニイタカヤマは台湾の新高山)を送信した電波塔として有名である。しかしこれには異説があり、連合艦隊旗艦「長門」が打電し、呉通信隊が送信したものを受信し再発信したものとも言われている。

 無線塔の左に見える白い「西海橋」は、佐世保市と西海市の間にある伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)にかかるアーチ式橋。1955年(昭和30年)完成。建設当時は、東洋一と呼ばれ日本最初の有料橋であった。大村湾への数少ない入り口で急潮でもあるため、渦潮(うずしお)が見られ、周辺は桜の名所としても有名。 2006年には、並行して西海パールライン有料道路が通る「新西海橋」が開通している。

●経ヶ岳と多良山系を仰ぐ (写真をダブルクイックして、拡大表示してください)

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 中央の山は、尖った三角の「経ヶ岳」(きょうがたけ、標高1,076m)。佐賀県と長崎県の県境に位置する多良山系に属する火山で、多良山系の最高峰。標高1,000m以上の山としては日本最西端に位置し、日本国内には経ヶ岳より西にそれより高い地点はない。

 左手の大きく見える山は、大村市内にある「郡岳」(こおりだけ、826m)。経ヶ岳の右側には、なだらかな「五家原岳」(ごかはらたけ、1,057m)や「多良岳」(たらだけ、996m)が連なる。 

●長崎空港から離陸する民間航空機

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 「長崎空港」は、正確には長崎空港B滑走路 を指し、大村湾に浮かぶ有人島「箕島」(みしま)を造成して作られた世界初の海上空港、1975年に開業した。離島航路や上海、ソウル航路もある国際空港で、長崎県の空の玄関口である。

 大村市の陸上部分にある長崎空港A滑走路は、かつては海上自衛隊と民間定期航空会社とが共用し、「大村空港」と呼ばれてていたが、現在は「大村航空基地」と呼ばれている。

●上空には自衛隊のヘリコプターが飛び交う

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 大村市は、旧大村藩の城下町であるが、旧陸・海軍の軍都の一面も持つ。現在、陸上自衛隊大村・竹松の二つの駐屯地と、海上自衛隊大村航空基地が所在する。

 大村航空基地(長崎空港A滑走路)は、戦前は海軍航空部隊の重要な出撃基地であり、ここから中国へ直接向かい、空爆を行った。現在、海上自衛隊の飛行場として護衛艦艦載ヘリコプター部隊の基地となっており、哨戒ヘリコプター、救難ヘリコプターが配備されている。また、軽飛行機の離着陸にも使用されている。

 1992年(平成4年)からは、日米地位協定に基づき、佐世保基地を母港とするアメリカ海軍の艦載ヘリの格納・整備のために、大村航空基地の一部施設が提供されている。昨年、普天間基地の県外移設候補地として取り上げられたが、市民の反対運動が起こったそうだ。

 

大宰府の史跡巡り

 

  2011年1028日(金)13:00雲仙・仁田峠を車で出発。14:15諫早ICで高速道路に乗り、大村湾SA20分ほど休憩、福岡県大宰府市に向かう。目的地のOB会場の「ホテルグランティア大宰府」には、1620に到着。

 

 

 その夜は18:30から、24名が参加してOB会が開催された。10名弱の人とは、40年ぶりの再会であった。部屋に戻って2次会の後、24:00ごろ就寝。

 

 

 

 翌日1028日(土)、7:15起床、7:30~朝食。

 

 9:00ホテルを後にし、同窓会幹事の企画で、地元ボランティアガイドと大宰府の史跡を巡る

 

  

 

●観世音寺(かんぜおんじ)

 

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 「観世音寺」は、746(天平18)天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って建立。80年もの歳月を費やした。大宰府政庁の東に接して創建されていたので、九州の寺院を束ねる「府大寺」として栄えた。創建時には七堂伽藍(しちどうがらん)を配した西日本最大の大寺院だったが、現在は江戸時代初めに再建された講堂(本堂)と金堂(阿弥陀堂)のみが残る。

 

●梵鐘(ぼんしょう)

 

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 観世音寺境内にある「梵鐘」は、京都・妙心寺のものと同型で日本最古クラス、国宝に指定されている。この梵鐘の音は、「日本音百景」の一つにもなっているらしい。
 鐘楼の裏手には「観世音寺宝蔵」があり、
平安時代から鎌倉時代にかけての仏像13体(すべて重要文化財)などが、展示されているという。

 

 

●戒壇院(かいだんいん)

 

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 761年、観世音寺の境内に「戒壇院」が置かれた。東大寺、下野(栃木県)の薬師寺とともに、唐の名僧鑑真和上を招き設置された「三戒壇」の一つとされる
。「戒壇」とは、僧侶が守るべき規律のことで、西国で僧になるためには、必ずここで受戒しなければならなかった。
 戒壇院は観世音寺の一部だったが、平安時代以降は徐々に衰退、江戸時代に観世音寺から独立し、禅寺となっている。
 

 

 

●大宰府政庁跡

 

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 大宰府政庁跡(都府楼跡)は、かつては「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ、九州を治める役所があった。奈良時代から平安時代にかけて、壮麗な建築が建ち並んでいたが、940年(天慶3)に藤原純友の乱で焼失。
 今は広い野原に、大きな礎石(レプリカ)が並んでいて、往時をしのばれる。そばには、「大宰府展示館」がある。発掘調査により出土した平安時代の遺構や出土品が公開されている。途中で雨が降り出し、展示館の軒下で雨宿り。ボランティアガイドはここまで。

 

 

●国立九州博物館

 

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太宰府天満宮の裏で、同宮所有の丘陵地に建設され、200510月に開館。100年以上の歴史を誇る東京・京都・奈良の3つの国立博物館が美術系博物館であるのに対して、ここは歴史系博物館であるという。「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」を基本理念に、旧石器時代から近世末期(開国)までの日本の文化の形成について展示されているという。
 大変興味がある所だが、時間の関係で、入館せず外観を見ただけ。前日、雲仙に行かなければ、見学出来たのだが。

 

 

●大宰府天満宮

 

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 学問の神様として菅原道真公を祀っており、受験合格や学業成就などを祈願する参拝客や観光客など、この日もにぎわっていた。七五三の親子連れの姿も目立つ。
 境内には約6,000本もの梅の木があり、2月上旬~3月中旬になると、境内を紅白に彩るという。梅にちなんだ「梅ヶ枝餅」は有名で、おみやげに買い求めた。参道には、数多くの土産屋がにぎやかに並ぶ。このほか「合格ちくわ」、「うその餅」、「鬼瓦もなか」など、由来ある縁起物もあるそうだ。
 天満宮の中の食事処で昼食をとり、境内・参道を散策する。

 

 

 1330博物館駐車場に集合、14:00に解散。14:50筑紫野ICで高速に乗り、16:30実家に到着した。

 

 大宰府に来たのは、中学校の修学旅行以来だろうか、ほとんど記憶がない。今回は、宝物殿、展示館や国立博物館などもゆっくり見たかったが、OB会のオプションだったので時間が無く、駆け足の史跡巡りだった。

 

 

2011年11月 3日 (木)

雲仙・普賢岳

 帰省中の2011年10月27日(木)、普賢岳登山のために友人の車で雲仙に行く。

 雲仙は豊富に湧きだす温泉と、春はピンクのミヤマキリシマ、夏はヤマボウシの白い花、秋は紅葉、冬は霧氷などの四季の自然が有名。日本初の国立公園のひとつ。

 雲仙岳は、長崎県島原半島にある火山で、千々石カルデラの外輪に位置する。普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰と、野岳ほかの五岳からなる山の総称。狭義では三峰を「雲仙岳」ともいう。

 1990年11月、主峰「普賢岳」1,359mが198年ぶりに噴火し、火砕流が世界で初めて鮮明な映像として記録された。噴火活動は、特に島原市と深江町に大きな被害をもたらし、1991年6月の火砕流では、死者・行方不明者43名と9名の負傷者を出す大惨事となった。

 現在では、その火山活動で形成された「平成新山」1,486mが主峰より高くなり、長崎県の最高峰となっている。新山は、地熱が高く猛毒ガスが噴出しているので、登山禁止。

 

 15:00過ぎに、雲仙湯守の宿「湯元ホテル」にチェックインする。

 翌日のホテルの朝食は7時からで、仁田峠のゲートが開くのは8時、なんとも山の時間にしては遅い。車は仁田峠でなく、その下にある池の原園地駐車場に置き、仁田峠まで30分くらい歩くという方法もある。

 明日の下見に、仁田峠に車で出掛ける。宮崎から車で来た4人と合流、仁田峠第2展望所に行くと、「平成新山」(中央)と「普賢岳」(その左の小さな山)が間近に見える。 

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 平成新山のズームアップ。 なんとも荒々しく、草木も生えてない。

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 夕方でや光りも陰ってきたので、火砕流の流れた斜面、眼下の島原市街や有明海は、明日機会があると思い、カメラで撮らなかった。(翌日雨になるとは、思いもしなかったので。)

 仁田峠第1展望所で、沈む夕陽を見る。

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 17:30「湯元ホテル」に戻る。1泊2食\8,800、昼の弁当¥500を注文しておく。18:30~夕食。小学生が修学旅行で大勢来ていて、大浴場は夜6時から9時の間、入浴不可だという。貸切り風呂が8時から9時だが、女性陣に譲り、夜9時から大浴場に入る。22:30就寝。

 翌日10月28日(金)5:40起床、ホテルは6:40から早めに朝食を準備してくれた。しかし、朝から雨。登るかどうか判断に迷う。

 7:45ホテルを車で出発、仁田峠循環線の入口ゲート(環境保全協力金¥100)で、ゲートが開く7:55まで待つ。

 8:05仁田峠に到着。第1展望台は、標高1,100m。小雨と霧で山並みは見えない。ロープウェイ仁田峠駅もまだ閉まっている。登山口には、鳥居と普賢神社拝殿があった。

 8:24とりあえず雨の中を 登山開始。 しばらくゆるい下りが続くが、やがてゆるやかに登る。途中、こんな木の実が水滴で光っている。

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 9:10 紅葉茶屋で、 5分休憩。昔ここに茶屋があったのか、今は無い。

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 ここから、普賢岳へは急登だ。

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 山頂のすぐ真下に、祠があった。

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 9:42普賢岳標高1,359mの山頂に到着する。霧のため、下界も眼前にあるはずの平成新山1,486mも、何も見えず。

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 晴れていれば、大村湾、橘湾、有明海の三海や諫早干拓が見渡せるという。さらに視界が良ければ、遠く阿蘇山、桜島も見えるらしい。

 10:05下山開始。10:30紅葉茶屋に戻る。

  ここから国見岳へは、急登が続く。だいぶ雨や霧が晴れてきて、紅葉が美しい。

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 その中に、春に咲くピンク色のミヤマキリシマだろうか、1本だけ狂い咲きしていた。

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   10:56国見別れの分岐。ここから国見岳まで15分だが、すべりやすい石があるそうで、時間の関係もあり、省略して妙見岳へ尾根伝いに下る。

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 尾根には、ミヤマキリシマが群生している。ところどころ、こんな青や赤い木の実も。 

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 霧が晴れて、下界や有明海が霞んで見え始めた。

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 11:28 妙見神社。ほんのすぐそばに妙見岳1,333mがあるらしいが、スキップ。

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 道標の後ろのピンクの花は、何だろうか? 

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 急な下りが続くき、11:37ロープウェイ妙見駅の乗車口。ここでトイレ休憩。
 この天候だと、観光客はチラホラ。しかしだいぶ霧が晴れ、仁田峠が見下ろせる。

 
 正面に電波塔のある野岳1,142mが見える。右下はロープウェイ仁田峠駅と駐車場。

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 仁田峠駐車場のズームアップ。

 
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 12:10仁田峠に到着。雨は止んでいる。仁田峠のベンチでで昼の弁当を食べ、ホテル代と飲食代、弁当代を清算(一人\11,000)。

 13:00に仁田峠を出発、14:15諫早ICから高速道路に乗る。13:10 大村湾SAで30分ほど休憩して、OB会会場の「ホテルグランティア大宰府」に16:20到着。

 その夜は18:30から、40年ぶりの再会もあり、24名が参加して恒例のOB会が開かれた。部屋に戻って2次会、24:00ごろ就寝。明日は、大宰府をOB会で観光する予定。

2011年11月 2日 (水)

国宝・松本城と無言館

 美ヶ原高原・王ヶ頭ホテルに宿泊した翌日の2011年10月24日(月)、8:30ホテルをバスで出発、山本小屋ふる里館へ。ここから自家用車で、松本市へ向かう。

 

 10:09松本市の市営大手門駐車場に到着。ここから徒歩で、すぐ近くの松本城に向かう。途中の松本市観光情報センターで、ボランティアガイドをお願いした。

 ここが、松本城の入り口。

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 今歩いてきた道「大名町通り」を松本城入口から振り返る。

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 10:18松本城。入場料(松本市立博物館共通):大人600円。 

 松本城は、別名深志城とも呼ばれ、安土桃山末期~江戸初期に建造され、明治の大改修後、昭和11年に天守は国宝に指定された。城跡は、国の史跡に指定されている。五重六階の天守閣は、城の中では日本最古。幾たびか存続の危機や、四百余年の風雪に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されている。

 姫路城、彦根城、犬山城とともに、四つの国宝城郭のひとつである。

 ガイドの案内で、城内を巡る。ただし、天守閣の中は混雑するため、ガイドは同行できないとのこと。

 松本城は、戦国時代の信濃の守護・小笠原氏の深志城が始まり。小笠原長時は武田信玄から追われたが、本能寺の変による動乱の後、小笠原貞慶が深志城を回復し、名を松本城と改めた。

 秀吉は天下を統一すると、家康を関東に移封。松本城主小笠原秀政は家康に従い下総へ移り、代わって石川数正・康長父子が入り、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めた。

 松本藩の歴代藩主は、その後戸田、松平、堀田、水野、戸田と、6家23代が替わっている。この間、石高は10万石から6万石の間を増減した。

 天守閣の左手に、北アルプスが遠望。

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 中央の大きい山が常念岳。そのすぐ左に槍ヶ岳など北アルプスが連なる。

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 秀吉の大坂城は、黒で統一されていたそうだ。松本城が黒い漆塗りなのは、石川氏の秀吉への忠誠のしるしという。

 天守と本丸庭園。
  
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 松本城の向かいには、美ヶ原王ヶ鼻とその電波塔が見える。

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 真下から、天守閣を仰ぐ。城主松平直政により、左手に辰巳附櫓(たつみつきやぐら)と月見櫓(つきみやぐら)の2層が増築された。

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 天守閣に登り、本丸庭園を見下ろす。天守に登る階段は、急で狭く、対面通行のため観光客が並んで待っている。

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 天守閣から美ヶ原の王ヶ鼻を望む。

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 天守の最上階から本丸庭園を見下ろす。

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 城内入口にある市営博物館は、時間の関係で入館せず。

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 この後は上田市に向かい、13:10戦没画学生慰霊美術館「無言館」に到着。

 そこは、市街から外れた塩田平の山林の丘の上にあった。閑散とした静かな佇まいだ。

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 無言館は窪島誠一郎氏(父親は、作家水上勉)により、信濃デッサン館の分館として平成9年に開館した。こころざし半ばで、第二次世界大戦で戦没した東京美術学校の学生や、独学の画学生30余名、300余点の遺作、遺品が展示。

 館主の窪島氏は、その画学生たちの遺した作品、遺品を全国各地に訪ねて、収集したという。以前テレビのドキュメンタリー番組で見たことがあったが、その中の出てきた絵も数枚見ることができた。母や妹、妻や恋人を描いた絵が目立つ。保存状態も良くなく、一部絵具が変色したり、剥げかけている絵があったりして痛々しい。

 入館料¥1,000。館内撮影禁止。

 

 この後、上田駅の近くの信州そば屋「刀屋」(かたなや)を探して寄る。

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 小さな店だが、池波正太郎が愛し通ったということで有名なそば屋だ。色紙があった。

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 昼食には遅い時間だったが、半分以上の席が埋まっていた。ざるそば(普通盛り700円)を注文。そのボリュームにびっくり。 ざるそば(中650円)の変更しても食べ応えがある。

 上田菅平IC、上信越道・関越道を経て、18:00前に自宅に帰着した。

美ヶ原高原

 2011年10月23日(日)
 6:15自宅を出て、友人らと車2台に分乗、曇り空の中を天気を心配しながら、関越・上信越道、東部湯の丸ICを経て国道142号から県道62号へ。一路「美ヶ原高原」に向かう。

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 美ヶ原は、八ヶ岳中信高原国定公園にあり、松本市、上田市などにまたがる高原で、日本百名山の一つ。標高2,000m近い熔岩台地で、約1千ヘクタールの大草原に亜高山植物が咲き競い、美ヶ原牧場と呼ばれる牛の放牧地となっている。北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳の雄大な360度の大パノラマが展開するという。最高峰は、王ヶ頭(2,034m)。

  
 

 9:40美ヶ原美術館に到着する。やはり車から出ると肌寒い。

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 1981年(昭和56年) ビーナスラインが開通、美ヶ原高原美術館(フジサンケイグループ、箱根・彫刻の森美術館の姉妹館)が開館して、車で手軽に行ける観光地となったそうだ。

 野外彫刻見学には、入館料(\1,000の割引\900)が必要。9:55入館、丘の上の現代アートを楽しむが、夏なら気持ちがよさそうだが、この時期はやはり長くいられない。

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 上田市街を展望して、11:25に退館。

 この後の牛伏山(1,990m)へは、霧に為に中止し、11:35山本小屋ふる里館へ。ここの駐車場に車を置き、昼食に山菜そばを食べる。

 12:10ふる里館を徒歩で出発、霧の中を王ヶ頭ホテルに向かって、広い遊歩道を歩く。ホテル山本小屋を過ぎ、やがて美しの塔が霧の中に現れる。

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 12:24美しの塔に到着。

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 高原の中央にあるシンボルタワー『美しの塔』は、霧の発生時に鐘を鳴らし、登山者を安全に導く目的で建設された。南側には、山岳詩人尾崎喜八氏の『美ヶ原熔岩台地』の詩、北側には美ヶ原高原開拓者で山本小屋創設者の山本俊一翁のブロンズ像が刻まれている。

 12:34塩くれ場に着く。石の上で、牧畜の牛馬に塩をくれたところだそうだ。

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 ここから崖沿いの狭い道の「アルプス展望コース」を行く。

 途中で、鹿撃ちのハンターと出会う。午前中、仲間とで20頭ほど仕留めたそうだ。
 

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 13:05、やや危なそうな烏帽子岩に到着(写真下の突き出た岩)。

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 右手に、王ヶ頭ホテルと放送・通信塔群が見えてきた。王ヶ頭は、放送局の送信所のほか、NTT、国土交通省、長野県防災無線などの中継所などが建てられており、長野県の放送・通信の要衝となっているが、なんとも景観を妨げている。

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 アルプスの山並みは雲や霧で見えないが、山間に水面が光るのは、諏訪湖らしい。250mmの望遠レンズで狙う。

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 13:33王ヶ頭の下で小休止、ホテルにはまだ時間が早いので王ヶ鼻へ向かう。

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 13:57王ヶ鼻に到着。

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 松本の市街を展望。遠くの山々は、雲がかかっていて良く確認できず。

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 14:36美ヶ原山頂の王ヶ頭(2,034m)に到着。山頂の石碑とその傍には石仏が。

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 ホテルのすぐ近くに「御嶽神社奥の院」がある。後ろには、巨大な通信設備の建物と塔。
 

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 14:44王ヶ頭ホテルに到着。

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 ホテルは、美ヶ原の最高峰王ヶ頭(2,034m)に建つ。ホテルから見える烏帽子岩。

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 ホテルの玄関前には広大な高原が広がる。

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 休憩後、展望風呂、露天風呂で汗を流す。宿泊者は、女性の団体客が目立つ。

 17:34歓迎のシャンパンサービスのあと、17:40から~19:40まで、2階「やまぶき」で夕食・宴会。20:00から20:30まで、4階のフォトギャラリーで美ヶ原の四季のスライドショーを観る。

 20:45からナイトウォッチング。ホテルのバスで美しの塔まで行く。途中、何頭かのシカに出会う。霧のため満天の星空は見えず、木星の輝きだけが目立つ。ホテルの戻って4階の図書館で、ギター伴奏に合わせて山の歌を歌って、22:30早めに就寝。

 

 翌日10月24日(月)5:10起床。

 6:02の日の出を見ようと、外で待つ。外はさほど寒くはないが、濃霧で見える様子なし。あきらめて、部屋に戻る。

 6:30からのバスでの王ヶ鼻展望ツアーは中止。前日行っておいたので良かった。

 7:30ホテルで朝食。8:30ホテルのバスで山本小屋ふる里館へ戻る。

 ここから自家用車で、次の行程の松本へ向かう。(次の「国宝・松本城と無言館」のブログに続きます。)

 他の観光客の話では、深夜1時ごろ霧が急に晴れて満天の星空が一時見えたらしい。下界は晴れだが、ちょうど美ヶ原の上に雲が被さっており、それが霧となって視界を妨げているが、時折風で晴れ間になるという。

 今回は運悪く、霧や雲のために、期待した大パノラマの展望、星空、雲海、日の出を望めなかったが、十分楽しめた。王ヶ頭ホテルの宿泊費は安くはないが、サービスやもてなしも満点、機会があれば、また行きたくなるところだった。

 

 

 

 

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