2025年6月8日(日)、東武東上線「和光市駅」から「成増駅」までの新緑の中の街歩き。
陸上自衛隊広報センター「りっくんランド」は、朝霞駐屯地にある自衛隊の博物館・広報施設で、戦車・ヘリコプターなどの装備品が展示されている。見学後、「和光樹林公園」「大泉さくら運動公園」「大泉町もみじやま公園」「光が丘公園」などの都市公園を徒歩で巡る。
8:54、東武東上線「和光市駅」(Googleマップ)着。
「和光市駅」は、埼玉県和光市本町にある東武東上線と東京メトロの駅。東武鉄道「和光市駅」の1日平均乗降人員は、およそ167千人(2024年度)、東武の駅の中では、「池袋駅」、「北千住駅」に次いで第3位。東京メトロ「和光市駅」は、1日平均およそ169千人(2023年度)が乗降する。
「西友」和光市駅前店で、昼食用の弁当と飲みもの購入。
9:10、ウォーキングをスタート。
本町通りと本田通りの交差点から、「本田技術研究所」が見える。
大規模マンション「シーアイハイツ和光」の前を通る。1982年3月築、14階建て。総戸数1616戸。
9:35、国道254号線(川越街道)に面した「陸上自衛隊・広報センター」(陸上自衛隊朝霞駐屯地 )に到着。
愛称「りっくんランド」は陸上自衛隊の広報施設で、陸自の組織・編成、任務・役割、活動状況を学び、戦車等の大型装備品や各種装備品を間近で見学、また疑似乗車体験などができる。陸軍予科士官学校や旧軍に係る資料を展示する「振武臺(しんぶだい)記念館」も公開。休館日:月・火曜。開館時間: 9:30〜11:45 、13:15〜16:45。入館料無料。
装備品マネキン。左から、第1空挺団(習志野駐屯地)の隊員が落下傘と背嚢を装着、空挺隊員が上空から落下している状態、有毒ガスの防護装備、一般的な作戦での服装・装備。
対戦車ヘリコプターAH-1S(通称コブラ)。20mm機関砲、対戦車ミサイルTOW、70mmロケット弾を装備。
左奥から、94式水際地雷敷設装置、87式自走高射機関砲、89式装甲戦闘車、74式戦車、90式戦車、10式戦車。
左奥から、多用途ヘリUH-1H、75式と74式自走155mmりゅう弾砲、中距離多目的誘導弾。
左から、87式自走高射機関砲、89式装甲戦闘車、74式戦車。
水陸両用車AAV7(愛称アムトラック)は、乗員3名+兵員25名、または貨物4.5tを収容。
広報センターの裏から見る広報センターの建物と屋外展示(イベント広場)。
(クリックすると拡大表示)
屋外展示場(イベント広場)と第2駐車場を抜けると「振武臺記念館」の建物がある。
「振武臺記念館」は、陸軍予科士官学校にまつわる数々の展示品や旧軍ゆかりの資料、朝霞駐屯地や郷土の歴史の資料が紹介されている。残念ながら、館内撮影は禁止。
戦前の朝霞には、旧陸軍の予科士官学校があった。陸軍士官学校は明治時代から市ヶ谷(東京)にあったが、昭和の時代になって手狭となり本科が1937年(昭和12年)に座間(神奈川)へ、予科は1941年(昭和16年)10月に朝霞に移転した。なお予科の修業期間は2年、本科は1年10カ月であった。
この「振武臺記念館」は、1978年(昭和53年)3月に座間にあった陸軍士官学校の皇族舎を解体し、移設した歴史的建造物。皇族舎は、皇族男子が陸軍士官学校や海軍兵学校で将校教育を受ける際に用意された特別の宿舎。市ヶ谷から朝霞に移転した、陸軍予科士官学校に関する資料等を中心に展示されている。「振武臺」の由来は、1943年(昭和18年)12月、昭和天皇が当校に行幸された際、学生達に対し「将来益々武を振るえ」という思いから名付けられたという。
九九式十糎山砲(99しき10せんちさんぽう)の展示:旧陸軍が1939年(昭和15年)に制式化した口径105mmの山砲。
11:00自衛隊広報センターを出て、国道254号線を西へ。朝霞警察署前で左折して県道108号(東京朝霞線、南大通り)を南下。
11:35左折し、480mの「新座緑道」を通って埼玉県営「和光樹林公園」へ向かう。
480mの「新座緑道」は、災害時には住民の避難路となる緑道として、1993年(平成5年)4月に開設された。周辺の緑地をつなぐ快適な憩いの小道。
緑道の途中、自衛隊正門前信号の左手に朝霞駐屯地の正門がある。
左の門には「東部方面総監部」と「朝霞駐屯地」、右の門には「陸上総隊司令部」の大きな表札。
12:00、埼玉県営「和光樹林公園」に到着。
公園は、 米軍「朝霞キャンプ」の跡地の一部で、芝生広場や遊具、樹林地などが整備されている。2019年(平成元年)3月オープン。隣接して同様な公園計画の都立「大泉中央公園」がある。さらに当公園から新座防災基地までの緑道が、都・県共同で整備されている。
公園を散策、あずま家で昼食。
南側に隣接する都立「大泉中央公園」を通り抜けようとしたが、練馬区立「大泉さくら運動公園」の方に行ってしまった。
「大泉さくら運動公園」は練馬区と埼玉県和光市の都県境にあり、東京都立「大泉中央公園」と埼玉県営「和光樹林公園」に隣接している。どちらも米軍が、旧陸軍士官学校の敷地の一部を接収して「朝霞キャンプ」として利用していた土地が返還されてできた公園。「大泉さくら運動公園」も同様であるが、こちらは米軍基地内ゴルフ練習場の跡地だった。
「大泉さくら運動公園」内の一部に、無料でデイキャンプやバーベキューが可能な野外炊事広場が設置されてて、家族連で賑わっていた。東京23区内で、数少ない無料で焚き火ができる貴重なエリアだという。
行けなかった東京都と埼玉県の都県境に位置する都立「大泉中央公園」は、米軍から返還後、計画面積約10haの公園として造成、1990年(平成2年)6月にオープンした。噴水池・武蔵野の自然林・芝生広場・アスレチック遊具・広い砂場など。また陸上競技場・野球場の施設もある。
13:15、練馬区立「大泉町もみじやま公園」
練馬区と埼玉県和光市の都県境にある練馬区立「大泉町もみじやま公園」は、「もみじやま憩いの森」があった保護樹林の傾斜地と、外環自動車道上部の平坦な広場(V字型の左半分)を合わせて整備してできた。公園内に生えているもみじの種類は130本。秋には多くの紅葉するもみじは迫力があるが、緑のもみじも生き生きとしていて綺麗。
13:25、「大泉町もみじやま公園」を出る。
「らんとう坂下」交差点を経て、住宅街を流れる白子川(荒川水系新河岸川支流)に沿って東の方向へ歩く。白子川の遊歩道には、歩き始めてしばらくは桜並木が続いていた、桜の青葉がちょうど日差しを避けるには良かったが、途中から並木はなくなった。
下中里橋で、右(南)に折れ、急坂を登る。
坂を登り切る手間で、13:40「稲荷山憩いの森」。
13:50「稲荷山憩いの森」を抜けると住宅街。やがて都道68号線(練馬川口線、土支田通り)に出て、東へ「光が丘公園」に向かう。
コメダ珈琲練馬土支田店付近。
14:10、都立「光が丘公園」の光が丘高校口から入園。公園内は多くの樹木が茂り、まるで森林公園のようだ。
戦後米軍住宅地「グラントハイツ」として米軍の管理下にあったが、1973年(昭和48年)に返還が完了し、総面積の約1/3が都立の都市公園として確保された。1981年(昭和56)年から一斉に周辺の整備が開始され、小、中、高校が15校、公団、公社、都営住宅が12,000戸、都内有数の大団地となった。
公園内を散策、「観賞池」近くの売店で休憩。ここから公園内を北に向かって、15:05北口から退場。赤塚高台通りを通って、国道254号線(川越街道)を歩く。
「りそな銀行」成増支店の手前で右折、「なりますスキップ村」商店街へ。
「なりますスキップ村」商店街からは、成増駅南口へ。
15:25、東武東上線の成増駅南口に到着。
「成増駅」は、板橋区成増にある東武東上線の駅。東京メトロ有楽町線、副都心線の成増駅が近接する。
都市公園の通り抜けだけだと歩程は10Kmくらいの予定は、公園内の散策も含めて13Kmになった。雨が降りそうな曇り空だったが、午後からしばらく日が射すこともあった。汗ばむこともなく、目にも優しい新緑の中で、良いウォーキング日和だった。
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